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いま『論語』にどう向き合うのか

いま『論語』にどう向き合うのか

(2010年11月25日更新)

 
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『論語』は、古くて新しい本である。読めば読むほど、そんな感想をもたざるをえないし、これはいつの時代も変わらなかったのではないかと思う。

 

 西洋の精神の支柱となってきたのは、いうまでもなく『聖書』である。紙が貴重で、本が非常に高価であった時代には、欧米の人々が日常的にふれることができた書物は、『聖書』だけであったという。『聖書』を精神の糧として、そのなかに人間の生き方の形を学び、心の拠り所にした。それが、西洋文化であったといえるだろう。

 

一方、私たち日本人にとって『聖書』の役割を果たしたものが、おそらく『論語』であったのではないだろうか。書店に足を運ぶと、つい最近出された本のなかにも『論語』がテーマになっているものが多いことに気づく。これは、人間の生き方、価値観というものが、大きく揺らいでいることの一つの現象のように思われてならない。

 

安岡正篤先生は、現代を生きる私たちに次のような警鐘を鳴らしている。

 

 

「今日のわれわれは、あまりに自分の思索、自分の修養、自分という人物をつくり上げることを疎かにいたいまして、雑誌を読み過ぎ、雑画を見過ぎ、雑音を聞き過ぎ、雑事に追われ過ぎております。生命というものは純一を尊ぶものであります。雑駁は創造の敵でありまして、現代文明・現代人の大きな病、欠点は、この雑駁ということであります」

(CD集『安岡正篤講話録 「論語と人間」』

/Disc6 自然と人間より)  

 

『論語』にせよ、『聖書』にせよ、静かに内省して、自らの生き方として吸収するからこそ、生きた書物になるのである。単に教訓・教条として読む、つまり知識・情報として読むのであれば、本当の知恵には至らない。

 

私たちは情報過多の時代に生きている。過剰な情報の海を泳ぎながら生きていかなければならない。それは、もしかしたら活字に飢えていた時代に生きるよりも難しいことなのかもしれない。この情報の氾濫にさらされているからこそ、私たちは自らの努力で、真実に生きる知恵を学ばなければいけないのだろう。

 

安岡正篤先生は、さらに『論語』についてこう言われている。

 

 

「現代をもっともよく把握し、現代にもっとも正しい結論を得ようと思えば、『論語』で十分である、というて決して誤りではない。それほど『論語』をみんな読まないだけのことで、『論語』を知らぬ者はない、『論語』をもたぬ者はない、『論語』を読まぬ者はないけれども、大体みな論語読みの論語知らずである。(中略)この時代、この人類はいかにすれば救われるかということになると、「学ぶに如かざるなり」(衛霊公篇)と『論語』に書いてある。その通り。夜もすがら物を思えどもなんにもならん。孔子は「学ぶに如かざるなり」と『論語』にいうておられるが、本当にその通り。学ぶに如かざるなり、であります」

(CD集『安岡正篤講話録 「論語と人間」』

Disc7 論語読みの論語知らずより)

 

 

考えてみれば、今ほど『論語』が必要とされている時代はないかもしれない――そう思われてならない。

 

PHP研究所 教育出版局 林順一


 

 

安岡活眼商品装丁.jpgのサムネール画像CD『安岡正篤講話録 「論語」と人間』
~今をいかに生きるべきか~

「現代をもっともよく把握し、現代にもっとも正しい結論を得ようと思えば、『論語』で十分である」――単なる字句の解釈にとどまらない安岡活学の講話をぜひお聴きください。

 

 

 

 

[復刻版CD]『指導者のための「論語」』37681.jpg

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中国古典の第一人者である村山孚氏の監修で、永遠不滅の書『論語』にリーダーの指針となる考え方や知恵を学びます。

 


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