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人をきたえる~松下幸之助「人を育てる心得」

人をきたえる~松下幸之助「人を育てる心得」

(2016年4月19日更新)

 
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指導者はきびしく人をきたえることによって人を育てなくてはならない

 
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水戸光圀がまだ幼いころの話である。江戸小石川の水戸藩邸の近くに、桜の馬場という刑場があって、ある日そこで罪人の処刑があり、その首がさらし首になった。すると、その晩になって、父の頼房は、「あの罪人の首を持ってくるように」と光圀に命じた。
 
桜の馬場というのは、昼でも木立がうっそうと繁り、気味悪いところなので、家来たちも心配したが、光圀は別に恐れる風もなく、「かしこまりました」と出かけていった。そして、手さぐりで首をみつけ、持って帰ろうとしたが、重くて手に余るので、引きずりながら屋敷に帰ってきた。それを見て、頼房もわが子の胆力を非常に喜んだという。
 
これはいわゆる肝だめしであろう。幼い子供に生首をとってこさせるなどというのはずいぶん乱暴なようだが、昔は大名の若君でもこのようにしていろいろなかたちで、心身ともにきびしくきたえたのだと思う。
 
人間というものは、何ごとによらず、きたえられることによって成長していくものである。たとえば、スポーツの競技などを見ていても、まるで神業ともいえるような見事なプレーを見受けるが、そういうものもすべて、きびしい練習の積み重ねによって生まれたものであろう。身体的というか、技能的な面だけでなく、心の面でも同じことだと思う。禅宗の戒律というものは非常にきびしくて、ふつうの人ではとても耐えられないもののようだが、修行を積んだお坊さんは、なんら苦痛を感ぜずして、その戒律に従った生活ができる。
 
そのように人間は、きびしくきたえられれば、心身ともにいくらでもといってもいいほど向上していく。反対に、いかにすぐれた素質をもっていても、きたえられることがなくては、その素質も十分に発揮されないまま終わってしまうだろう。
 
だから指導者は、人間の偉大さを発揮させるという意味からも、人をきたえることに大いに意をそそがなくてはならないと思う。もちろん、昔のようなやり方をそのまま今日にあてはめろというのではない。そんなことはかえって逆効果になってしまうだろう。したがって、そのやり方は今日の時代に即したものでなくてはならないが、しかし方法はちがっても、なんらかのかたちできびしく人をきたえつつ、人を育てることを決して怠ってはならないと思うのである。
 
 
【出典】
 
 
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