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きびしさ~松下幸之助「人を育てる心得」

きびしさ~松下幸之助「人を育てる心得」

(2016年6月13日更新)

 
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指導者は公の立場に立ってきびしい要求をもたねばならない

 
*  *  *
 
初代梅若実は能の名人といわれた人だそうだが、若いころ山階滝五郎という人のところへ稽古に通っていたという。ところがある時、謡曲の一カ所を何べんくり返しても「よし」といってもらえない。かといって、「こうしろ」と教えてももらえず、ただ「できるまでやれ」と何度も謡わされるだけである。
 
それでついには涙を流しながらくり返したけれども、それでも滝五郎はいいとはいわない。そのうちにふと滝五郎の姿が見えなくなったので、きょうの稽古はこれでおしまいかと思い、帰ってしまった。ところが、そのあと滝五郎が戻ってきた。実がいないので、「どうしたのか。まだできるはずはないが」と家人にたずねると、「先ほど帰りました」ということなので、大いに怒って、「もうあしたから稽古はしない」ということになった。そこで驚いた実は再三わびて、やっと許しを得、またきびしい稽古を重ねたというのである。
これはいわゆる芸道修業のきびしさというものであろう。どんな道でも、名人、上手といわれるような人は、このようなきびしい修業をへて、はじめてその域に達するのだと思う。そして、そのためにはやはり教え導く立場にある者が、そういうものをもたなくてはならないということである。
 
まして、世の指導者といわれる人びとにはそのようなきびしさは不可欠のものだといえよう。指導者として事を行なうのは、いわゆる公事であって、私事ではない。つまり、そのことによって、国家社会なり、人びとになんらかのプラスを与えるためにやるのであり、自分個人のためにやるのではない。
 
だから、指導者はそのことに怠りがないよう、自分に対して、また下の人に対して、ある種のきびしさをもたなくてはならない。それは個人的には一面つらいことであり、時には情においてしのびないということもあろう。だが、そうした私情をおさえて、きびしい要望をし、きびしい追及をし、過ちに対してはきびしい叱責をするということが、指導者が事をなすにあたって求められているのである。いわば、それは指導者が世間から無言のうちに求められていることだといえよう。
 
指導者に公の立場に立ったきびしさがあって、はじめて人も育ち、事も成就するのだと思う。
 
 
 
【出典】
 
 
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