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服部金太郎「少しでも良いところがあれば、それを認めてやれ」~名経営者の人材育成

2017年2月27日更新

服部金太郎「少しでも良いところがあれば、それを認めてやれ」~名経営者の人材育成

「日本の時計王」と呼ばれたセイコーホールディングスの創業者・服部金太郎氏は、時計づくりだけでなく、人づくりにも長けていました。

「服部時計修繕所」からスタート

日本を代表する時計メーカー・セイコーホールディングスの創業者・服部金太郎氏(1860年~1934年)が若い頃から心がけていたのは「世間より一歩先を歩く」ことだった。

わずか12歳で舶来雑貨を扱う唐物屋の丁稚奉公にあがった服部氏は懸命に仕事をする一方で周りの店の商いのやり方や人の出入りをじっと見ていた。自分が独立するためにはどうすればいいかを考えるためだった。

そんな服部氏の目に留まったのが舶来物の時計を扱う店だった。唐物屋は雨の日にはお客さまがほとんど来ないが、時計屋は雨の日にも時計の修繕をして商いをしていた。服部氏は「まず時計の修理から始めれば、開業資金も貯められるし少ない資金で開業できる」と考えて時計店に移って3年間の修行の後、「服部時計修繕所」の看板を掲げている。

世間より一歩先を歩く

お客さまの時計を修理したり、夜店などで買ってきた壊れた時計を修理して販売する小さな店だったが、「薄利多売」と「正直」に徹した商売が成功して1881年には「服部時計店」を開業しているが、これがのちのセイコーのスタートである。ここから服部氏は常に一歩先を歩き続けている。

早くに外国商館から時計を仕入れるようになり、次いで外国からの直接輸入を行い、やがて舶来に変わる国産品をつくろうと掛時計の生産に着手、さらには懐中時計の生産、腕時計の生産と常に他社に先んじて挑戦を続けている。その結果が日本を代表する「セイコー」ブランドの構築につながっている。服部氏は言う。

「私は常に世間より一歩先を歩いてきました。商人にはこれが必要だと思います。大切なのは一歩先であって、何歩も先に進むと世間とかけ離れ過ぎてうまくいかない。商人が預言者になってはダメです」

最高の時計をつくるためには最高の人を育てる

常に「一歩先」を進むために服部氏が大切にしたのが人材の育成だった。服部時計店の製造部門と言える精工舎(のちのセイコーエプソンなどにつながる)では雇った社員に仕事に必要な技量を教えるのはもちろん、夜学制度を設けて国語や数学の教育も受けさせ、寄宿舎の舎監を服部氏の母親が務めるなど公私に渡って「人づくり」に取り組んでいる。

服部氏は厳しいトップではあったが、上司に対して部下の評価の仕方、使い方などをこう諭している。

「その長ずるところを貴び、その短なるところを忘る。長所ばかりの完全な人間なんて、この世にいない。少しでも良いところがあれば、それを認めてやれ。認められた者は気分を良くして、より一層働くようになるものだ」

時計の生命線は「品質」にある。最高の時計をつくるためには最高の人を育てることが必要だった。「日本の時計王」と呼ばれた服部氏は時計づくりだけでなく、人づくりにも長けていたのである。

参考文献 『時計王セイコー王国を築いた男』(若山三郎著、学研М文庫)、『20世紀日本の経済人Ⅱ』(日本経済新聞社編、日経ビジネス人文庫)

桑原晃弥(くわばら・てるや)
1956年、広島県生まれ。経済・経営ジャーナリスト。慶應義塾大学卒。業界紙記者、不動産会社、採用コンサルタント会社を経て独立。人材採用で実績を積んだ後、トヨタ式の実践と普及で有名なカルマン株式会社の顧問として、『「トヨタ流」自分を伸ばす仕事術』(成美文庫)、『なぜトヨタは人を育てるのがうまいのか』(PHP新書)、『トヨタが「現場」でずっとくり返してきた言葉』(PHPビジネス新書)などの制作を主導した。
著書に『スティーブ・ジョブズ全発言』『ウォーレン・バフェット 成功の名語録』(以上、PHPビジネス新書)、『スティーブ・ジョブズ名語録』『サッカー名監督のすごい言葉』(以上、PHP文庫)、『スティーブ・ジョブズ 神の遺言』『天才イーロン・マスク 銀河一の戦略』(以上、経済界新書)、『ジェフ・ベゾス アマゾンをつくった仕事術』(講談社)、『1分間アドラー』(SBクリエイティブ)などがある。

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