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御木本幸吉、天性の経営感覚と商人魂

御木本幸吉、天性の経営感覚と商人魂

(2011年7月 8日更新)

 
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真珠に対して特別な知識がなかったにもかかわらず、養殖真珠に身を投じて成功を収めた“真珠王” 御木本幸吉。大言壮語の言葉にたがわず、大きな成功を収めた要因は何だったのであろうか。その背景に迫る第2回。

 

*  *  *

 

経営力がもたらした発明

 

「あいつは山師じゃ」

そんな周囲の声に、御木本は、「おれは山師じゃあない。大海師だ。今に見ておれ」とうそぶいた。リスクの中にあっても、御木本はつねにタフであった。

 

以来、赤潮の報に顔をひきつらせ、死魚の漂う海をかき分けて、アコヤ貝の死骸を引き揚げるのもたびたびであったが、この年明治26(1893)年、千個のアコヤ貝からわずか五個の半円真珠を得たとき、御木本は妻と手を取り合って泣いた。このドラマチックな経過を眺めると、発明というものがいかにたんなる「思いつき」で成るものではないことを考えさせられる。人間の総合力とでも言おうか。

 

ただ、ともすれば御木本の場合、製造・技術のことだけがクローズアップされがちだが、実像はそうではない。天性の経営感覚と商人魂こそ御木本の本領だと指摘する伝記は多い。

 

その力量は次の三点に見られる。

 

(1) 衆知を集めることに秀でていた

 結婚でもそうだったが、衆知に頼るのが御木本流であった。それは技術においても、営業においてもいかんなく発揮された。取り立てて学歴のない御木本は養殖について何の知識も持ち合わせていない。しかし、その部分は箕作博士ら水産学の権威に教えを乞い、存分に知識を吸収した。

また実験、研究する協力者も自分のネットワークによって招集した。研究者不足に悩んでいた頃、アコヤ貝に核を入れる作業が職業柄近いからという理由で、知人の歯科医をスカウトしたほどである。こうした衆知を結集する力、人材を調達する力は御木本の大きな長所であった。また先の柳楢悦をはじめ、皇族や政治家といった事業を進める上で有力な人びととの絆を築くことによって信用をいち早く確保した。権威を活用する機微にたいへん通じており、つまり「天の時・地の利」に加えて「人の和」も味方にできたのである。

 

(2) 宣伝の達人であった

また御木本は商売における演出に抜群のセンスを持っていた。青物商をしていた頃に、こんなエピソードを残している。イギリスの軍艦が鳥羽に入港したというので、小船に乗り込み、艦に近づいて懸命に売り込んだ。しかし、まったく相手にされない。そこで旅の狂言師から習った足芸を兵士に披露する。すると兵士たちは拍手大喝采。その返礼としてすべての青物を買ってもらい、一人艦上に招かれる栄誉も得た。

真骨頂は明治36(1903)年、大阪での第五回内国勧業博覧会において出品した真珠・貴金属製品が、こぞって盗難に遭ったときである。御木本は陳列品の補充を指示する一方、自身は人力車で新聞社に駆けつけ、「盗難品発見の方には、一品につき百円の礼金を呈上する」という広告を頼んだ。これで世間の人はまず驚いた。興味本位に博覧会を訪れると、前にも増して豪華な展示がなされ、訪れた人はまた驚いた。その後、犯人が捕まって盗難品も戻ってきたので、巷間では、御木本は警察に対しても礼金を払うのかと噂し合うなか、御木本は警察関係の公益事業に懸賞金を全額寄付したので、世間は三度驚いたという。

また七十代の御木本を有名にした「真珠の火葬」事件も彼らしい。わざわざ外国人の多い神戸に出向き、御木本はその目の前で、大きな箱に入れてきた真珠をスコップですくって炎に投じ、見ていた外国人をアッと驚かせた。粗悪な真珠を輸出する追随業者がふえて、日本の信用が揺らぎかねないところを、御木本は自分のブランドを守るために演出したのである。

 

(3) バランス感覚が優れていた

そして、もう一つ忘れてはならないのは、バランス感覚である。養殖には大きな投資が必要である。また失敗も予想できる。そうした状況下、すべてをつぎ込んで運悪く破産してしまっては元も子もない。このリスクに対して御木本は、明治二十九(一八九六)年に半円真珠の特許を得るまでは、家業のうどん屋も海産物・天然真珠の仲買も継続させていた上、四日市では鉄道事業にまで携わって家計のやりくりをしていた。また市場展開や真珠と貴金属の加工製品への対応も敏であった。乾坤一擲を賭けたイメージがあるが、御木本は時代を先取りしつつ、優れたバランス感覚によって、・発明・という事業を、人生を含めて「経営」によって成り立たしめたのである。

 

一体化できる何かを見つける

 

今、経営者としての御木本に学ぶことは何だろう。

 

経営者のタイプとして御木本は天性の「発明家」のように語られ、また自らそれを任じてふるまったが、どちらかといえばマーケティング・センスあふれる「商人」型経営者の色彩が強い。しかし、御木本の場合、そうした経営者タイプの鋳型にはめ込んで長短を論じるだけでは何か物足りない。それは御木本の、日本では他に例を見ない「王」と呼ばれる、どことなく前近代的で、いかにもそれらしかった人格による。

 

晩年の御木本と面談した作家の吉川英治は、大見得を切り、けれん味たっぷりな御木本の言動をこう評している。

 

「翁(御木本のこと)の人生は翁自身の語るものを、すべて素直に伺っても、まこと他愛がないものだ。真珠はあんなに産みもし磨かせもしているのに、翁自身の人間は、いまだに帆立貝のままである。この親帆立貝は、割らない方がいいやうに思はれた。教養的な真珠層は巻いて居さうもない」(「新平家今昔紀行」)

 

やや辛口だが、吉川は御木本を非難しているのではない。御木本の本領を、近代経営の知性などではなく、極論すればその野性的な勘とパワーだと喝破しているのである。またそうであったからこそ、「真珠王」になれたのであろう。御木本の気質は志摩の風土が産んだものであり、真珠もまた然りで、その見事な一致がよい仕事となったわけである。

 

そう考えると、現代の経営者が御木本に学べることは何であろうか。彼の養殖真珠に匹敵するような、自分のすべての情熱を託せる事業に出会えるかどうかは、変転の激しい今日では運命に頼るしかない気がする。

 

しかし、少しでも心がけることがあるとすれば、自分のパーソナリティをよく見つめること、たとえば好きなことは何か、強みは何か、適性は何なのかをよく考えることであろう。そして自分を生かせそうな仕事を選ぶこと、その貝あわせを模索し続けることに尽きるのではないだろうか。

 


 

渡邊祐介

わたなべ ゆうすけ

PHP研究所 松下理念研究部長。専門分野は、松下幸之助研究・日本経営史。松下幸之助を含む日本の名経営者・実業家の経営哲学の研究。また、経営学の諸理論とくに組織論・マネジメント論と松下経営哲学の関連性について興味を持ち、考察を深めている。


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