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松下幸之助は、なぜフィリップス社を選んだのか

松下幸之助は、なぜフィリップス社を選んだのか

(2012年10月24日更新)

 
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オランダのフィリップス社との技術提携で、業界首位に立った“経営の神様”松下幸之助。企業DNAを信じて共存共栄の道を目指した、その決断の背景に迫る第2回。

 

* * *

 

技術以外の決断要素

さて、ここで大きな疑問が出てくる。設計をはじめとする標準がアメリカ方式にあったにもかかわらず、なぜ松下幸之助はアメリカの企業ではなく、あえてオランダのフィリップス社を選んだのであろうか。

 

テレビの基本特許をたくさん持つアメリカのRCA社も候補にあったという。この決断について松下幸之助は後日雑誌で、「技術提携のロイヤリティがアメリカの会社は三パーセント、フィリップス社は七パーセントである。なぜこんなに差があるのかと調べてみると、フィリップスの方があらゆる点において優れている。私はなるほど七パーセントの価値はあると思った」と話している(「難局を切り抜ける条件」『実業之日本』一九六二年七月十五日号)。

 

松下が認知したフィリップス社の価値とは、提携する技術のことだけではなかった。

とくに重視していた点は、フィリップス社の社歴や置かれた環境が松下電器と似通っていたことである。創業者アントン・フィリップスが電球製造からはじめて、一代で成長した会社であること。そして日本よりなお国土が狭く、資源も乏しいオランダにありながら世界的企業に成長した実績を持つこと。けっして恵まれていない条件ながら、同社が努力と工夫を頼りに発展してきたところに、松下幸之助は共通点が多いと感じたのである。

 

経営手法についても、昭和三十九(一九六四)年に刊行された伝記『アントン・フィリップス』(紀伊國屋書店)の冒頭で、推薦文を執筆した松下幸之助はこんな一節を記している。

 

「私がフィリップス社に対して非常に敬服し、感心している点の一つは、この会社が、急速な発展をとげたにもかかわらず、あらゆる点において、実にうまいバランスがとれているという点である。言いかえれば、つねにバランスある姿において、成長発展をつづけてきたということである。その大きなものの一つが、技術と販売のバランスである。何れも兄たり難く弟たり難しというわけで、優れた技術と優れた販売が実にうまく調和されている……」

 

この指摘もまた、松下電器が家庭電器事業においていち早く流通網を整備して成長した経営手法を思えば納得がいく。

 

また経営に臨む姿勢も然りだった。松下幸之助が何よりも評価していたのが、フィリップス社が社の発展のために、つねに自主独立の信念のもと不屈の志を以て海外展開に挑み続けてきたことであった。自主独立の経営もまた松下幸之助の信条である。こうした総合的な見方のもとに、決断は下されたのであった。

 

「結婚」といえるまでの共鳴

フィリップス社も松下電器も厳しい提携交渉を経ながら、互いにこの提携を「結婚」と呼び、信頼関係を強調した。その意味するところは、たんなる契約関係にとどまることがなかったことからも窺える。松下幸之助は、松下電子工業の責任者に、「最初の五年間は黙ってフィリップス社に教えてもらえ。言いたいことがあれば五年経過してから言うように」と諭していたという。そして、フィリップス社も基礎技術から最新情報まで、誠実に対応していった。技術開発・設備面だけではなく、「バゼットシステム」といった生産・経営の管理手法、またマウンター(組立作業者)の訓練を行なう「マウントスクール」といった人材教育、アフターサービスのプロフェッショナルを招いての勉強会に至るまで、時に提携契約の範囲云々を問わず、現場における細かなアドバイスのレベルにも及んだという。

 

「ルーペイズム」もその一例である。フィリップス社から派遣されてきた技術顧問F・J・セーが松下電子工業の現場を巡回し、ルーペの使い方や本来あるべき美しいマウント(図面どおりつくる電極組立部)の姿を指導した。すると、七〇パーセントが限界であった真空管製造の歩留まりが九五パーセントまで急上昇したのである。これはルーペの使用法という技術上のことではなく、彼らに共通する一つのものづくり哲学、先入観なしに素直に物を見、その本質を見抜くという考え方で、同社の現場現物主義の基本になる考え方に根ざしていたことだった。

 

松下幸之助が企業家の修養として自己観照に努め、社員にも素直なものの考え方をするよう提唱していたことは知られるとおりである。割符を合わせたような価値観の共鳴が「結婚」と言うにふさわしい濃密な協力関係を生むに至ったのであろう。

 

フィリップス社とは、その後、昭和三十五(一九六〇)年から定期的に技術連絡会議(コンタクトミーティング)が行なわれるなど、関係を深め、昭和四十二(一九六七)年には契約期間が満了したが、さらに十年間の延長が決定した。このとき、技術援助料と経営指導料は二・五パーセントずつとなり、昭和六十二(一九八七)年には二・四パーセントずつに、そして平成五(一九九三)年、松下電子工業の海外展開を含む事業拡大に伴い、所期の目的を十二分に達したとのことで提携は解消されるに至ったのである。技術の導入だけが目的であれば、おそらくもっと早くに提携は不要になっていたであろう。それがかくも長期にわたったのは、松下電器の「恩を大切にする風土」があってのことに違いあるまい。

 

志と哲学あってこその決断

今、ますますさまざまな技術の融合、コラボレーションこそが企業の将来性を決定する重要なポイントとなっている。そこで問われるものはいったい何であろうか。

 

先に述べたように、松下電器のテレビ躍進を支えたのは、昭和二十九(一九五四)年八月、フィリップス社の技術を生かした一四インチテレビ一四T―五四九の成功であった。

 

しかし、この開発時において松下電器は、彼らの技術をそのまま単純に受容したわけではなかった。フィリップス式テレビの最大の特徴は、簡略な製造が可能なトランスレス方式というものであったが、ヒット商品一四T―五四九の開発は、電子管こそ同社製を使用したものの、設計はアメリカ式に近いものを採用し、独自に部品数を減らすことに成功したからこそ、高品質にして廉価な商品の開発を実現できた。

 

すなわち、フィリップス社の技術をただ導入するのではなく、彼らの誇りとする自主独立の気概を持って、新しい技術を生み出したところに見事な成果を上げることができたわけである。大事なことは、技術を導入しつつも、いかに独自の開発をめざすかということであろう。

 

画期的だといわれる経営指導料の発想も、当初フィリップス社は当惑したというが、“その心意気やよし”と認めたのは、やはり両社に共鳴し認め合う土壌があったからに違いない。社運を賭すほどの大きな提携というものは、ないものをただ補い合うという安直な理屈ではなく、提携する企業同士の志の高さ、そして哲学の相性によって大きく成果が分かれるものではないだろうか。松下幸之助のフィリップス社との技術提携の決断はその意味で、実に企業家らしさに満ちた最高の事例であったといえよう。

 


 

渡邊祐介 わたなべ ゆうすけ

PHP研究所 松下理念研究部 研究部長専門分野は、松下幸之助研究・日本経営史。松下幸之助を含む日本の名経営者・実業家の経営哲学の研究。また、経営学の諸理論とくに組織論・マネジメント論と松下経営哲学の関連性について興味を持ち、考察を深めている。

     

 

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