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松下幸之助の思い――あれから四半世紀【コラム】~谷口全平

2014年2月 7日更新

松下幸之助の思い――あれから四半世紀【コラム】~谷口全平

「いま松下幸之助さんが松下病院で亡くなりました。至急コメントを取りたいので京都在住の経営者や文化人の方で、親しくしておられた方を教えてください」
 
平成元年四月二十七日、その日の朝、私はPHP研究所で何かの会議をしていました。十時二十分ごろだったでしょうか、突然京都新聞の記者から電話が入ったのです。
 
“何かの間違いではないか”、そう思いました。十日ほど前に上司が仕事の報告のため松下病院に行っていて、元気だったことを聞いていたからです。すぐに松下電器(現パナソニック)の秘書室に電話を入れ、問い合わせたのですが、「まだ連絡は入っていません」とのこと。しかし、テレビが次々に「松下さん死去」を報じ始めたのです。享年九十四歳。
 
 
松下幸之助の晩年の関心事は日本の将来のことでした。“このままいけば日本は大変なことになる”その危機感には大きいものがありました。PHP研究所を第二次大戦直後の昭和二十一年(1946)に創設してから、政治を国家の経営ととらえ、できるだけ無駄をなくして“政治の生産性”を上げなければならない、高い税金を取って悪い政治をしているのは、メーカーでいえば粗悪な製品を高く売っているのと同じだと警鐘を鳴らし続けていました。
 
昭和四十八年(1973)、わが国は石油ショックに襲われました。不況が深刻化し、国家も企業も、日本全体が総赤字になり,破滅の淵に追いやられつつありました。そうした状況を憂え、『崩れゆく日本をどう救うか』を緊急出版。その中で松下はこう言っています。
 
「戦前の国家予算は、昭和十年頃で二十二億円。その四六%までが軍事費であった。その頃の大学卒のサラリーマンの初任給は六十円前後、現在の初任給は八万円前後だから、千三百倍。また、当時を基準としたいまの物価は約す千倍になっている。しかるに国家予算はヒトケタ違う一万倍になっている。さらに防衛費を勘案すれば一万三千倍になる。戦前に比べれば、科学も技術も発達し、交通手段も通信もずっと便利になっている。それらを活用すれば、戦前よりはるかに効率的な政治、行政ができると思うが、なぜこのように賃金や物価が千倍前後であるにもかかわらず、国費だけが一万三千倍にも増えたのだろうか。したがって、税金もそれに見合うものを取っていることになるのだが、果たしてそれだけの税金がいるのだろうか。このままの姿勢を政治がとり続け、根本的な改革を断行しなければ、たとえお互いの決意と努力で物価を現状のまま維持できたとしても、国費は二万倍、三万倍と増え続け、ほどなくして日本はゆきづまり崩れ去るだろう」
 
松下が亡くなってから早や四半世紀、今日、国費は三万倍どころか四万倍を超えてしまいましたし、国の債務残高もなんと1000兆円を超えるというところまで来ています。松下幸之助が健在ならいったい何と言うのでしょうか。
 
 
 
 
谷口全平
PHP研究所研究顧問。
1940年、京都市生まれ。64年、慶應義塾大学経済学部卒業。松下電器入社。同年11月、PHP総合研究所に出向。出版部長、『PHP』編集長、社会活動本部、第一研究本部担当取締役を経て現職。『松下幸之助発言集』(全45巻)の編纂、松下資料館展示室「松下幸之助経営の道」の総合プロデュース等を行なってきた。
著書に、『松下幸之助人生をひらく言葉』などがある。

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