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「九徳」と「十八不徳」~山本七平が語る『貞観政要』にみるリーダーの条件

2017年10月15日更新

「九徳」と「十八不徳」~山本七平が語る『貞観政要』にみるリーダーの条件

リーダーの条件として「人徳」は不可欠の要素といえるでしょうが、では何をもって「徳」とするのでしょうか。山本七平氏(評論家、山本書店店主)の名著『新版・指導者の帝王学』から『貞観政要』に登場するリーダーの条件をご紹介します。

「徳」とは

何をもって「徳」とするかという問題がしばしば話題になる。徳のある人に天命が下り、その人物がリーダーになるともいわれる。「徳」とはいったい何をいうのか。

企業の経営者と話をしていると、「それは人望だ」とよく言われる。では、人望とはどういうもので、どうすれば人望を得ることができるのかを尋ねると、「人徳がないと駄目だ」と言う。さらに、人徳とは何かときくと、「人徳は人徳だよ」と堂々巡りのような答えになって、それから先に話が進まなくなる。

しかし、われわれは、人徳がない人間はリーダーになれないし、天命も下らないという概念を伝統的にもっている。逆にいえば、リーダーにはこの「人徳」を期待している。

「人徳」の定義で有名なのは、舜帝の臣、皐陶が、舜帝の前で語った「九徳」といわれる9つの徳目である。その徳目とは、

寛にして栗(寛大だが締まりがある)
柔にして立(柔和だが事が処理できる)
愿にして恭(真面目だが丁寧でつっけんどんでない)
乱にして敬(事を収める能力があるが慎み深い)
擾にして毅(おとなしいが内が強い)
直にして温(正直、率直だが温和)
簡にして廉(おおまかだがしっかりしている)
剛にして塞(剛健だが内も充実)
彊にして義(豪勇だが正しい)

の9つである。これは、『貞観政要』にも朱子の「近思録」にも登場する。

これを読んでみても、たいそうなことが書いてあるわけではない。「大したことはないな」と思われる人もいるだろう。

儒教の教え方は、「~であるなかれ」ではなく、常に「~であれ」という言い方をする。儒教の影響を強く受けている「教育勅語」のなかにも一言として、「~であるなかれ」という言葉は出てこない。すべて「~であれ」という言い方になっている。

ところが、ヨーロッパの伝統はこの逆であり、『旧約聖書』は常に「~するなかれ」というかたちになっている。大脳生理学の研究者にきいてみると、記憶に強く残るのは、「~であるなかれ」のほうだそうである。

ここで「九徳」を逆に考えてみたい。「九徳」は相反する言葉が対になっているので、これを全部否定にして「不徳」に書き換えると、「十八不徳」ができる。「十八不徳」の人間はつまり、徳のない典型的な人間ということになる。列挙してみると、

「寛にして栗」の逆は、「こせこせとうるさいくせに、締まりがない」
「柔にして立」の逆は、「刺々しいくせに、事が処理できない」
「愿にして恭」の逆は、「不真面目なくせに尊大で、つっけんどんである」
「乱にして敬」の逆は、「事を収める能力がないくせに、態度だけは居丈高である」
「擾にして毅」の逆は、「粗暴なくせに気が弱い」
「直にして温」の逆は、「率直にものを言わないくせに、内心は冷酷である」
「簡にして廉」の逆は、「何もかも干渉するくせに、全体がつかめない」
「剛にして塞」の逆は、「見たところ弱々しく、内も空っぽである」
「彊にして義」の逆は、「気が小さいくせに、こそこそと悪事を働く」

となる。「不徳の致すところ」という言い回しがあるが、この「十八不徳」がまさにそれである。

「十八不徳」をもつリーダーの下で働きたい人がいるかといえば、だれもいないのが当然である。これは日本だけかと思い、海外協力センターで日本で仕事をしたいという人に、日本の事情を話す機会をもったとき、「日本では九徳という概念があり、それを裏返した十八不徳のリーダーの下では、絶対に人は働かない」と話した。ところが、彼らに「それはどこの国でも同じであって、そういうリーダーの下だったら、働きたいと思う人はいませんよ」と教えられた。

したがって、これは古い言葉であるが、20世紀の現代においてもいささかも古びていないのである。しかも、儒教文化と全然関係のないヨーロッパ人にも通用してしまうところが面白い。つまり、こういう人間は、世界中どこの国に行っても、リーダーになるのは絶対に無理ということだ。

生まれながらにして「九徳」すべてを備えているような、完璧な人間などいるはずがない。『論語』のなかには「有教無類」という考え方があり、人間には生まれながらにして類別があるのではなく、教えがあるかないかだけだといっている。その教えが今日はいったいどのくらい実践できたか、自己評価をしていく。それが修養であるといった。つまり、生まれながらにはもっていない「九徳」を、いかにして獲得するか。そして、「九徳」に一歩でも近づくように修養するのが、リーダーの務めということになるのだろう。

指導者の帝王学

『[新版]指導者の帝王学』

どうすれば人は動くのか? 織田信長、上杉鷹山、孟子などから指導者としての見識や経営の要諦を明かす。山本日本学の名著を復刊。

【著者】山本七平(やまもと・しちへい)

1921(大正10)年、東京に生まれる。1942(昭和17)年、青山学院高等商業学部を卒業。1958(昭和33)年、山本書店を創立。山本書店店主として、おもに聖書関係の出版物の刊行を続けるかたわら、評論家としても活躍。その日本文化と社会を分析する独自の論考は「山本学」と称される。1991(平成3)年、永眠。著書に、『私の中の日本軍』『「空気」の研究』『「あたりまえ」の研究』『存亡の条件』『「常識」の研究』『「常識」の落とし穴』『日本資本主義の精神』『論語の読み方』『昭和天皇の研究』『勤勉の哲学』『日本的革命の哲学』『日本人とは何か。』『帝王学』『日本はなぜ敗れるのか』など多数。

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