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使われる~松下幸之助「人を育てる心得」

2016年3月 5日更新

使われる~松下幸之助「人を育てる心得」

指導者は一面部下に使われるという心持ちをもたねばならない

北条氏康は、早雲の孫にあたる戦国の武将だが、父祖の業績をついで、ついに関八州を平定した。彼はよく民を治めるとともに、戦って百戦百勝という、いわゆる文武両道に秀でた名将であった。

その彼が隠居して息子の氏政に家督をゆずったのち、ある時氏政に、「お前は国をゆずられて、今何を楽しみとしているか」とたずねた。それに対して氏政が、「部下を選び、その能力を判断することを楽しみとしています」と答えたところ、氏康は、「それはけっこうだ」といったあと、「が、しかし」といって次のようなことをつけ加えたという。

「大将として部下を選ぶのはふつうのことだ。けれども、部下が大将を選ぶ時もある。日ごろ部下を愛し、民をいつくしまないと、一朝事あった場合は、他に名君良将を求めて去っていってしまう。だから大将たるものは、つねにそのことを心がけなくてはいけない。富貴の家に生まれ、不自由なく育つと、そういうことがわからなくなるから、お前も十分心しなくてはいけない」

不幸にして氏政はせっかくの父の教えを十分には生かせず、またその子氏直もいわゆる小田原評定といったようにいささか優柔不断なところがあって、ついに秀吉の軍門に降るにいたるのである。しかしながら、秀吉の大軍相手に半年の籠城にたえ、しかもその間よくありがちな裏切り者は少なく、そして氏直が許されて高野山に赴いた時も、命を捨ててもこれに従おうという者がきわめて多かったという。それだけ人材が育っていたわけで、それはやはり早雲以来、特に氏康の代に培われたものが大きかったのであろう。と同時に、そうしたせっかくの人材も、大将に人を得なくては十分に生かされないということでもあると思う。

実際のところ、形の上では一般に指導者が人を使って仕事をしているように見えるが、見方によっては指導者のほうが使われているのだともいえる。だから、口では「ああせい、こうせい」と命令しても、心の奥底では、「頼みます」「お願いします」、さらには「祈ります」といった気持ちをもつことが大事だと思う。そういうものをもたずして、ただ命令しさえすれば人は動くと思ったら大変なまちがいである。こうした心境があって、はじめて部下に選ばれる大将になり得るのである。

特に大きな組織、集団の指導者ほど、この心がまえに徹することが必要だといえよう。

【出典】 PHPビジネス新書『指導者の条件』

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