松下幸之助は「問題社員」にどう対処したのか
2017年2月28日更新
「自分の組織だけは」という願望や防衛意識から、自分の部署に優秀な部下ばかりが来ることを願い、人事に一喜一憂する管理職は、どの企業にもいるものです。松下幸之助は、人事に関する管理職の心の持ち様をどのように考えていたのでしょうか。
「うちの部署には優秀な部下を!」という管理職
ある程度の人数の部下を抱えるようになってくると、上司として陥りがちなことがあります。それは、「自分には優秀な部下ばかり来てほしい」もしくは「問題の社員には来てほしくない」というものです。
これは"自分の組織だけは"という願望や防衛意識によるところなのかもしれません。少しでもチームのよいパフォーマンスを望むのは当然のことながら、ともすれば人事が動くたびに一喜一憂するようになるのです。無論その気持ちは分からなくはありませんが、自己や自部門のエゴにとらわれると、指導者としての自分の器は大きくならず、常に悩みを抱えることになってしまいます。
その点、経営者、指導者はどのような心持ち、覚悟を持てばよいのでしょうか。
松下幸之助は問題のある従業員をどう扱ったのか
こうした問題について、弊社創設者・松下幸之助も同じ悩みを持ったことがありました。大正時代、松下電器がまだ50人くらいの規模のときのこと、従業員の中に工場の品物を外に持ち出すという不正を働く者が出たのです。それは幸之助にとって、起業して初めての体験でした。
「どういう処置をすべきか、主人である自分がピシッと決めなければならない。工場をやめさせてしまうこともできるし、なんらかの罰を与えて済ますこともできる。どちらがよいのか」
幸之助はいろいろ考え出すと、夜も眠れなくなったといいます。
当時は戦前のことでもあり、従業員の解雇は比較的簡単で、一方的にやめさせることもできました。それで世間も納得し、問題になるようなことはなかったのです。
幸之助は、せっかく採用してともに仕事に取り組んでいる従業員を、すぐにやめさせてしまうのは気がすすまなかったのです。
「とはいえたとえちょっとしたことでも1度不正を働いた者をそのままみんなといっしょに働かせることが好ましいのかどうか。やはりここは、思い切ってやめさせるのがいちばんいいのではないか」
なかなか結論が出ず、迷い、葛藤は深まるばかりでした。
社員を信頼し、大胆に人を使う
結局、幸之助はどうしたのか。今や経営者になっている幸之助は、不正を行なった人を順に解雇していくわけにはいかないと思い至ったのです。
さて、それでももやもやとした葛藤をどう落ち着かせればよいのか。そのとき、幸之助の心にふっとある考えが浮かんだのです。それは、「今、日本に悪いことをする人はどれくらいいるのか」という突拍子もない疑問でした。
「法を犯すような悪いことをする人が、かりに10万人いるとすれば、法にはふれないが軽い罪を犯している人は、その何倍もいるだろう。その人たちを天皇陛下がどうされているかというと、あまりに悪い人は監獄に隔離するけれども、それほどでもない人については、われわれといっしょに生活し、仕事をすることをお許しになっている。そうしたなかにあって、一工場の主人にすぎない自分が、いい人のみを使って仕事をしようとすることは、天皇陛下の御徳をもってしてもできないことを望んでいるようなもので、虫のよすぎる話ではないか」
天皇陛下がまだまだ絶対的な存在であった時代です。幸之助はそう考えると非常に気が楽になってきました。
「将来1000人、2000人と会社が大きくなっていくと、何人かは会社に不忠実な人や悪いことをする人が出てくるだろう。たくさんの人を使っていくのであれば、いわば当たり前の姿だ。しかし、それは100人のうち1人とか200人のうち1人とかで、従業員全体としては信頼できる。経営者にとってそれは非常に幸せなことではないか。とするならば、やっぱりすぐにやめさせることはしてはならない。必要な罰を与えるにとどめておこう」
このことがあってから、幸之助は社員を信頼し、きわめて大胆に人が使えるようになったといいます。経営者としての器を広げた葛藤だったといえるでしょう。
渡邊 祐介(わたなべ・ゆうすけ)
PHP理念経営研究センター 代表
1986年、(株)PHP研究所入社。普及部、出版部を経て、95年研究本部に異動、松下幸之助関係書籍の編集プロデュースを手がける。2003年、大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程(日本経済・経営専攻)修了。修士(経済学)。松下幸之助を含む日本の名経営者の経営哲学、経営理念の確立・浸透についての研究を進めている。著書に『ドラッカーと松下幸之助』『決断力の研究』『松下幸之助物語』(ともにPHP研究所)等がある。また企業家研究フォーラム幹事、立命館大学ビジネススクール非常勤講師を務めている。