利益は報酬であること~松下幸之助『実践経営哲学』に学ぶ
2022年8月10日更新
企業の営利活動と社会貢献は矛盾するという見方があります。しかし、そもそも企業は利益をあげずに社会に貢献することはできません。松下幸之助は、利益は社会貢献という企業の使命達成に対する報酬であると認識すべきだと訴えます。この記事では松下幸之助の著書『実践経営哲学』から、利益と報酬について解説します。
利益は社会に貢献した報酬である
企業の利益追求は好ましくないという考えが一部にありますが、企業の使命は事業を通じて社会に貢献することであり、その報酬として社会から適正利益が与えられていると見るべきです。
企業の利益というと、それをなにか好ましくないもののように考える傾向が一部にある。しかし、そういう考え方は正しくない。もちろん、利益追求をもって企業の至上目的と考えて、そのために本来の使命を忘れ、目的のためには手段を選ばないというような姿があれば、それは許されないことである。
けれども、その事業を通じて社会に貢献するという使命と適正な利益というものは決して相反するものではなく、その使命を遂行し、社会に貢献した報酬として社会から与えられるのが適正利益だと考えられるのである。(中略)いわゆる暴利というものも世間にはないわけではないが、それはあくまで例外であって、本質的には利益というものは企業の使命達成に対する報酬としてこれを見なくてはならない。
利益をあげることは企業の社会的義務
企業の利益の一部は社会に税金として還元されます。利益がなければ、国や自治体の税収が減り、国民生活に悪影響を与えます。したがって、赤字は企業の社会的責任を果たしていないことになります。
もし利益は好ましくないということで、すべての企業が利益をあげなかったらどういうことが起こるか。いうまでもなく、国や自治体の税収がそれだけ減って、結局、国民全体が困ることになるわけである。(中略)だから企業は、どのような社会情勢の中にあっても、その本来の使命の遂行に誠実に努力していくと同時に、その活動の中から適正な利益をあげ、それを税金として国家、社会に還元していくことに努めなければならないのである。それは企業にとっての大きな責務だといえよう。
一般に世間では、赤字を出したというような場合、同情される傾向がある。これも人情としては分からないでもないが、しかしこのような見方からすれば、それはおかしいということになる。適正な利益をあげ、それを国家、社会に還元することが、企業にとっての社会的な義務である以上、赤字を出すことは、その義務を果たし得ていない姿であり、本来それは許されないことではなかろうか。
利益をあげることが社会の福祉向上に貢献する
さらに利益は、出資者である株主に対する配当に、そして企業発展のための研究開発や設備投資にも必要です。暴利はもちろん戒めるべきですが、適正利益は国民の福祉向上に不可欠との認識をもつことが大切です。
企業によっては何十万人という多数の人々がその株主になっている。そのように多くの人々の出資による資金を集めて事業活動をしているのが、今日の企業の姿である。だから、そうした株主に対しては、適正にして安定的な配当をもって報いていかなくてはならないのは当然であろう。(中略)そういう面からしても、企業が適正利益を得ることの大切さがあるわけである。
さらにもう一つ大切なことがある。
というのは、企業がこの人間の共同生活の限りない生成発展に貢献していくためには、企業自体が絶えず生成発展していかなくてはならない。つまり、常に新たな研究開発なり設備投資なりをして、増大していく人々の求めに応じられる体制にしていかなくてはならないわけである。ところが、そうした開発なり投資なりにはそれだけの資金がいる。(中略)過度な利益というか、いわゆる暴利はいけないが、適正な利益は、企業自体だけでなく、社会全体、国民全体の福祉の向上のためにも必要不可欠のものであるという認識を、企業経営者はもちろん、政府も国民もはっきりともつことが大切である。
いかなる理由があれ、赤字であることは企業としての社会的責任を果たしていないのだという自覚をもって、日々の経営活動に力を注ぎましょう。
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