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店長が創意工夫して最高の接客サービスを実現~おもてなしで付加価値の創造を紡ぐ~

2026年2月27日更新

店長が創意工夫して最高の接客サービスを実現~おもてなしで付加価値の創造を紡ぐ~

事業活動を通じてお客様や社員、地域の人々に喜ばれ、「社会の公器」として信頼を集める"良い会社"。その会社づくりは、どのように行なわれているのか。1軒のうどん店からスタートしたグルメ杵屋は、讃岐うどんの麺と関西風のだしという新しい組み合わせで人気を博し、外食チェーンとして急速に成長したが、数々の試練を切り抜けて今がある。味に厳しい大阪を中心に、幅広い層から愛される食を提供し続ける同社の椋本充士社長に、これまでの改革の歴史や新たな取り組みについて話をうかがった。

INDEX

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株式会社グルメ杵屋 代表執行役社長 最高経営責任者(CEO) 椋本充士(むくもと・あつし)

椋本充士

1961年生まれ。近畿大学を卒業後、飲食チェーンを展開する大和実業株式会社(現・株式会社ダイワエクシード)に就職。'90年にグルメ杵屋に中途入社。ベンチャー事業部、経営戦略室・開発部門等を経て2001年に取締役に就任。その後、業態確立部門、店舗設計、商品開発などの部門で指揮を執り、'10年4月に社長に就任して現在に至る。'19~'20年には大阪外食産業協会(ORA)の第16代会長を務めた。

株式会社グルメ杵屋

本社:大阪府大阪市/設立:1967年/事業内容:レストラン事業、機内食事業、業務用冷凍食品製造事業、地方卸売市場運営、鉄道事業、日本語学校、インターネット販売事業など

「うどんの麺を打つ実演」で評判のお店となる

株式会社グルメ杵屋は、杵屋グループ全体を統括する持株会社です。連結事業子会社として、うどん店の「杵屋」やそば店の「そじ坊」、サンドウイッチ店の「グルメ」、和食店の「丼丼亭」など、30以上の飲食店ブランドを展開する「株式会社グルメ杵屋レストラン」、ラーメン店等を展開する「株式会社ゆきむら壱番亭」、機内食事業の「株式会社エイエイエスケータリング」、冷凍弁当の製造販売を手がける「株式会社アサヒウェルネスフーズ」、米穀販売などを手がける「日本食糧卸株式会社」、鉄道・バス事業の「水間鉄道株式会社」などがあります。その他「大阪木津卸売市場」や「GK日本語学校」、特別養護老人ホームなどを展開する「社会福祉法人ジー・ケー社会貢献会」なども当社のグループ組織です。
創業者である父・椋本彦之は、もともと米穀店を経営していましたが、アメリカで見たハンバーガーチェーン店に衝撃を受けます。それを見て「大阪の外食といえばきつねうどん。日本でやるなら、うどんのチェーン店や」と夢を抱きながら、1967年に給食委託請負業務を行なう「両国食品株式会社」を設立しました。
給食事業を手がけながらうどん開発にも励み、大阪から讃岐うどんの香川に通うこと5年。コシのある讃岐うどんと昆布とかつお節をベースにした関西風のだしを組み合わせることで、ついにオリジナルの味を完成させます。そして1971年に奈良のダイエーにうどん店「杵屋」第1号店をオープンすると、間もなく評判店となります。「おいしくて、安くて、ボリュームがある」ことに加え、店頭に「ガラス張りの手打うどん実演コーナー」を設けることで、大きな人気を集めることができました。折よく、駅に商業施設を組み入れる国鉄(現・JR)の「駅ビル化」の流れにも乗り、杵屋は日本各地に順調に店舗数を増やしていきました。
以降、当社は飲食店のチェーン展開や新規事業開拓、M&A、株式上場などを通して規模の拡大を進めていくことになります。1986年にはサンドウイッチ店などを手がける株式会社グルメと合併し、商号を「株式会社グルメ杵屋」としました。さらに1989年には、大阪証券取引所市場第二部に上場を果たしています。
私自身は、グルメ杵屋に就職するつもりで父に就職のことを相談したら「自分の好きなようにやりなさい」と言われました。いろいろな業界の説明会に足を運びましたが、最終的に飲食チェーンを展開する大和実業(現・ダイワエクシード)に就職しました。当初は同社に骨を埋めるつもりで働いていましたが、株式会社グルメとの合併時と株式上場時に、2度にわたって当時の大和実業の副社長からグルメ杵屋に戻るよう促され、最後には「業務命令だから戻れ」と。父に「グルメ杵屋に入社したい」と伝えると「面接を受けたらいい」と言われたので採用面接を受けました。ところが、面接してくださった人事部の方が社長室に行くわけです。すると社長室から「責任者だろう、君が決めなさい!」と怒鳴り声が聞こえてきました......。そんな経緯で、1990年にグルメ杵屋に入社しました。

看板

杵屋のルーツを伝える看板。創業者が香川県の製麺所「手打うどん杵屋」に修業で通い、ご店主から許可をいただいて「実演手打うどん杵屋」を屋号としたこと、修業先への尊敬と感謝の念を表すため、修業先のロゴマークの杵3本から1本抜いた杵2本をロゴマークとしたことが書かれている

利益を最優先することでじわじわと業績が下がる

株式上場後も、事業の拡大と多角化を進めていきましたが、父の彦之が他界した2008年に、当社は設立以来初めて赤字となり、さらに翌2009年も連続して赤字を出すという危機的状況を迎えてしまいます。
このような時期に、私は亡き父の後を継ぐことを決意し、2010年4月に社長に就任、経営改革に取り組むことになりました。まず行なったのは、いつから業績が下降線をたどり始めたのかを突き止めることでした。そこで浮かび上がったのが、1990年の秋頃から、既存店の来客数と売上がほんの少しずつ下がっていたことです。原因を分析してみたところ、一つには、1989年の株式上場を目指して、それまでの数年間、とにかく「利益」を上げて実績をつくろうとしていたことが考えられました。その中でいつしか利益を最優先し、お客様の存在が2番目3番目となりサービスが低下します。身内に聞いても「最近杵屋に行ったけど、サービスも味も落ちてるで」と言われる始末。それを敏感に感じ取ったお客様が杵屋から徐々に離れていってしまいました。
もう一つの原因としては、多くの既存店の「立地がよすぎる」ことで、集客の努力が十分なされていなかったことが挙げられます。駅や百貨店など、人が多いところで商売をすることで杵屋のチェーンは伸びてきたわけですが、その頃には他の様々な飲食チェーンが増え、たくさんある選択肢の1つにすぎなくなっていました。にもかかわらず、店長に課せられた役割は、時間通りに店を開け、マニュアル通りの接客をして商品を提供し、時間通りに店を閉めるといった基本的なことだけでした。あとは本社からのそのときそのときの方針を聞いて、それを守ってさえいればよかったのです。これでは他店よりも魅力ある店であり続けることはできません。

逆三角形の組織に転換しV字回復を実現

社長になった私が「V字回復」を目指して行なったのは、大和実業勤務時代に学んだことを生かして「組織のヒエラルキー」を根本的に見直すことでした。それまではいわゆる「ピラミッド型」で、社長がトップにいて、その下に役員、その下に部長、その下に課長、その下に店長がいて、最下層に各店のパート・アルバイトさんがいるという形でした。
私はこれを完全にひっくり返して、「逆三角形」の組織につくり直しました。具体的には、社長である私が一番下にいて、その上の部長が働きやすい環境を整えていきます。次に部長は、各部門のエリアマネージャーらが働きやすい環境を整えるというように。
現場の店長には、パート・アルバイトさんが仕事をしやすいようにすることと、お客様にリピーターになっていただけるような接客サービスや商品提供を心がけてもらいました。そして現場の最前線で働くパート・アルバイトさんの上にお客様がおられるという逆三角形のあり方を全員に伝え、これをグループ全体の共通認識として浸透させていきました。
特に「店長に接客サービスを工夫してもらう」のは、私の大和実業での経験をそのまま生かした運営方針です。大和実業が展開する飲食店では、主にアルコール類をお客様に提供します。お酒そのものはどの店で飲んでも同じであり、「商品で差別化」することができません。そのため各店長は、いかにお客様に喜んでいただくかを真剣に考え、それぞれがサービスの改善に創意工夫を凝らしていたのです。この考え方を導入することで、杵屋においても、各店の店長がそれぞれサービスを工夫するようになっていきました。
加えて、社員教育にかける予算を倍増し、外部の研修を積極的に受けてもらうようにしたところ、徐々に皆の意識が変化し始めました。たとえばある店長は、絵本を何冊か店内に置き、席が空くまでお待ちいただいている親子連れのお客様に読んでもらうようにしたそうです。また別の店長は、やはりお子様のために「ぬり絵」を用意し、料理を待っているあいだに遊んでもらうようにしました。こうした取り組みにより、小さなお子様が待ち時間にぐずったりすることが減り、親御さんにも非常に喜ばれました。そして、中学校の授業で店長が仕事の話をすることを研修として取り入れました。どう伝えたら仕事の苦労や喜びが伝わるか、工夫して発表することで、発表が終わると店長たちが感極まって泣くのです。自分たちの仕事がこんなにすごいんだ、と再認識するのでしょうね。自分を見直すいい機会になるのだと思います。毎月店長が集まって行なわれる「店長会」において、そうした各店の取り組みが発表されるようになり、刺激を受けた他店の店長も積極的に創意工夫するという連鎖反応が広がっていきました。店長が変わることで、グルメ杵屋は明らかに生まれ変わっていったのです。

幾度もの苦難を乗り越える

現場の努力によって2010年の後半以降は徐々に客足が戻り、ようやく来客数が前年を超え始めました。そして2年続いた赤字状態から脱却し、わずかながら黒字が出て、光が見えそうになった矢先の2011年3月11日に、東日本大震災が発生し、再び大きな打撃を受けることとなります。
私はこのとき、震災による危機を乗り越えられるかどうか不安を感じていました。というのも、赤字が2年続いたことで、それまでと同じ条件で融資が受けられなくなる可能性を金融機関から告げられていたからです。しかしながら、震災は避けることができない災難であり、それまでに杵屋グループの業績が上向き始めていたこともあって、金融機関は融資に快く応じてくれました。これもまた、現場の店長をはじめ、全社員が経営改革に前向きに取り組んでくれたおかげだといえるでしょう。その後は、海外展開も含めて事業は少しずつ上向いていきました。
前述の「グルメ杵屋レストラン」という新会社を設立し、レストラン事業の店舗運営業務を委託したうえで、従来の株式会社グルメ杵屋を持株会社に改組したのは2015年10月のことでした。これにより、膨らみ続けていたグループ会社全体の管理および戦略の策定などがスムーズに行なえるようになりました。当然ながら、グループの各企業は自社の事業に専念できるようになり、さらなる成長が期待できるようになったといえます。
事業の拡大・強化を進めていた中で、再び大きな危機を迎えることとなります。いうまでもなく、世界を大混乱に陥れた「コロナ禍」は全国の外食産業に大打撃を与えました。
緊急事態宣言が発令された2020年の4月と5月の2カ月間でいきなり30億円の赤字となり、その年末までに47億円の赤字となってしまったのです。レストランチェーンと機内食事業はほぼ壊滅状態となり、計400以上あった店舗のうち、一時的に100店舗程度が閉鎖に追い込まれました。唯一、おせち料理の販売だけが大きく売上を伸ばしましたが、もともとグループ全体の中では割合が小さかったため、赤字をすべて埋めるまでには至りませんでした。国の雇用調整助成金などによって、なんとか耐え忍んだような状況だったのです。

全国の店舗を訪ねておもてなしの心を伝える

コロナ禍では大変な苦難を強いられましたが、一方で海外の人材を積極的に受け入れる中で、戦略策定を得意とした方から、「経営戦略」を立てるうえでの具体的な手順や、その際に必要となる「ビジョン」の重要性などを学ぶことができました。創業者がいたらその人そのものが経営理念であり経営方針ですが、創業者がいなくなると企業風土、企業文化は変わっていくものです。ここ数年で当社の経営や企業文化そのものが大きく進化しつつあります。
その戦略をすすめる際の共有認識として掲げたグループビジョンは、「おもてなしで付加価値の創造を紡ぐ」です。「おもてなし」とは日本古来の価値観であり、その起源は茶道の考え方につながっています。茶道においては、「もてなす側」と「もてなされるお客」とは「対等の関係」であり、お互いがルールを守り、リスペクトし合うことによって、初めて「おもてなし」が成立するのです。
当社においても、本物の「おもてなし」を提供するためには、われわれ自身がお客様からリスペクトしてもらえる存在にならなければなりません。そのためには、よりよいサービスと商品を提供するのはもちろん、会社として「ブランディング」に特に力を入れています。またこうした考え方を現場のスタッフたちと共有するため、ひと月に数軒ずつ当社のチェーンの各店舗を訪問し、事業にかける私の思いを伝えるよう努めているところです。


看板

毎月全国の店舗を訪問しおもてなしの心を伝える

創業者である父は、大阪初芝学園の経営再建にかかわったことがあり、そのとき「教育ってこんなに楽しいんだ」としきりに言っていました。当初、東京大学への進学実績はなかったのですが、東京大学に実際に見学に行かせたことでエンジンがかかり、その後、東京大学や一流大学に進学する生徒が出てきました。高校サッカーでも全国大会出場を決め、準決勝まで行きました。環境を与え目標設定を明確にすると、ものすごく伸びることを実感していたのでしょう。人の育成に力を注いでいた姿を、私は大いに参考にしています。
松下幸之助さんが「企業は社会の公器」とおっしゃったように、世のため人のため、という視野を大切にしています。今年は、「2025大阪・関西万博」が開催されますが、1970年の大阪万博は、日本社会を大きく前進させた起爆剤だったと思います。今回、私が会長を務めたことのある大阪外食産業協会(ORA)のパビリオンの体験ゾーンで当社が「うどん打ち教室」を開催します。伝統的な和食文化である「うどん」と大阪の食文化を世界へ広く情報発信するとともに、次世代のファンづくりに取り組むことで、この博覧会が関西や日本にとって、次のステージにつながる起爆剤になればいいと思っています。

取材・構成:森末祐二 写真提供:グルメ杵屋

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松下幸之助「商売戦術30カ条」

本記事は、電子季刊誌『[実践]理念経営Labo』Vol.12(2025年1月)から転載したものです。登録不要、全編無料でお読みいただけますので是非ご覧ください。

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