樋口廣太郎「前例がないからやる」~名経営者の人材育成
2017年1月31日更新
アサヒビール「中興の祖」と称される樋口廣太郎氏。製品づくりでも人づくりでも「前例がないからやる」を徹底し、発展へと導きました。
アサヒビールを再建
現在のアサヒビールからは想像しづらいが、かつてアサヒビールは業績が著しく低迷して、シェアが10%を割っていたことがある。これでは「アサヒビール」ではなく、「夕日ビール」だと揶揄されたほどだ。
そんな苦境に立つ企業を再建するために1986年、銀行からトップとして送り込まれたのが樋口廣太郎氏(アサヒビール「中興の祖」)である。ビールには素人だった樋口氏が最初に行ったのが、キリンビールやサッポロビールのトップを訪ね、「アサヒのどこが悪いのかを教えてください」と聞くことだった。
問題を解決するためには「何が問題か」を知ることが必要だ。自社の欠点をライバル企業のトップに聞くなどというのはほとんど前例のないことだったが、「前例がないからこそやる」が信条の樋口氏はライバル企業のトップに頭を下げて教えを請い、そのアドバイスを生かそうとした。
たとえば、キリンビールのトップからはビールにはフレッシュさが欠かせないことを教えられ、売れ残っていた古いビールをすべて回収・廃棄するという大胆な決断を行っている。
「スーパードライ」の開発
さらに樋口氏が挑戦したのがアサヒビール伝統の味を変えることだった。
当然、強い反対があったが、マーケティング責任者の「お客さまは軽くて喉ごしのいいビールを求めている」という提案を受け、「商品づくりは理屈ではない。現物をつくってみんながおいしいと思ったら開発を進めよう」と決断した。
結果、「これはいける」という評価を得て発売に踏み切ったのが「スーパードライ」である。スーパードライは空前のヒットとなり、アサヒビールは巨人キリンビールを急激に追い上げるほどの復活を遂げることになった。
個性ある「人財」を時間をかけて育てる
会社の再生にあたって樋口氏が心がけたのは「明るい職場、明るい会社」をつくることであり、トップ自ら率先して全国を飛び回り、マイナス情報すら前向きに耳を傾けることだった。たとえば、当時は都内の酒販店の47%しかアサヒビールを置いていなかったが、樋口氏は「あと53%もチャレンジできるのか」とプラス思考で考えた。
そして社員に関しては「どうしてうちにはイチローのようなスーパースターがいないのか」と愚痴ることを戒めた。「よその会社には有能な人がいる」とないものねだりをするのではなく、社内に目を向けて「一隅を照らすもの、これすなわち宝なり」という人を探し出す。そういう人をきちんと見つけて育て上げるのが樋口氏のやり方だった。
さらにこうも考えていた。
「人を育てる時は10年単位で見るべきだと思います」。
社内に目を向けて個性ある「人財」を見つけ、時間をかけて育て上げる。たとえ係長から課長に昇格したとしても、その日を境に急に実力が伸びるわけではない。育つには時間がかかるが、時間をかけて着実に腕を上げていけば確実に成果が上がるようになる。上に立つ人間は性急に成果を求めるのではなく、時間をかけて育てれば、必ずや他社に負けないすぐれた人財が育つというのが樋口氏の考え方だった。
上に立つ人間にとって最もリスクが少ないのは前例を踏襲することだ。しかし、樋口氏は製品づくりでも人づくりでもあえて前例を踏襲せず、「前例がないからやる」を徹底することで優れた製品をつくり、自信を失っていた社員の元気を取り戻すことに成功することになった。
参考文献 『前例がない。だからやる!』(樋口廣太郎著、講談社+α文庫)
桑原晃弥(くわばら・てるや)
1956年、広島県生まれ。経済・経営ジャーナリスト。慶應義塾大学卒。業界紙記者、不動産会社、採用コンサルタント会社を経て独立。人材採用で実績を積んだ後、トヨタ式の実践と普及で有名なカルマン株式会社の顧問として、『「トヨタ流」自分を伸ばす仕事術』(成美文庫)、『なぜトヨタは人を育てるのがうまいのか』(PHP新書)、『トヨタが「現場」でずっとくり返してきた言葉』(PHPビジネス新書)などの制作を主導した。
著書に『スティーブ・ジョブズ全発言』『ウォーレン・バフェット 成功の名語録』(以上、PHPビジネス新書)、『スティーブ・ジョブズ名語録』『サッカー名監督のすごい言葉』(以上、PHP文庫)、『スティーブ・ジョブズ 神の遺言』『天才イーロン・マスク 銀河一の戦略』(以上、経済界新書)、『ジェフ・ベゾス アマゾンをつくった仕事術』(講談社)、『1分間アドラー』(SBクリエイティブ)などがある。