誠実に正道を歩む~「挑戦する風土」の伝統を次世代に引き継ぐ~
2025年11月12日更新

長瀬産業の創業は1832(天保3)年。飢饉だけでなく悪疫の流行や百姓一揆など、世間は騒然として景気がどん底であった頃、京都・西陣で産声をあげたことに遡る。その200年近くの歴史は、世の中の動きに合わせて正しい方向に変わり続けたことによって築き上げたものでもある。化学系専門商社でありながら製造、研究開発機能を有するという長瀬産業の創業精神や強みについて、取締役相談役の長瀬洋氏に、これまでの歩みを振り返りながら語っていただいた。
INDEX
長瀬産業株式会社 取締役相談役 長瀬 洋(ながせ・ひろし)

兵庫県出身。'73年、成蹊大学卒業後、ジャパンラインに入社。'77年に長瀬産業に転じ、'89年に取締役に就任。'95年に常務、'97年に専務を経て、'99年に社長に就任。2015年4月に会長を経て、'23年4月に取締役相談役。
長瀬産業株式会社
本社:大阪府大阪市、東京都千代田区/創業:1832年/事業内容:化学系専門商社として、ケミカルをはじめエレクトロニクス、モビリティ、エネルギー、フード、メディカル、バイオなど幅広い分野で事業を展開する。グループ会社は国内外100社以上に広がり、商社機能に加え製造機能、研究開発機能を有している。
1900年にフランスへ。総代理店契約の締結を実現
長瀬産業は樹脂原料・添加剤、機能性ポリマー、プラスチック製品、電子材料、機能性食品素材、医薬原料・中間体等々を扱っており、「何をしているのか」という問いにひと言でお答えするのは簡単ではありませんが、「化学系専門商社」といえば、ある程度イメージしていただけるかもしれません。
とはいえ、最初から今のように様々な事業を展開していたわけではなく、1832(天保3)年創業当時は京都・西陣で染料などの卸売問屋としてスタートしました。
その後の歩みについては、年表(下図)をご覧いただければと思います。特に明治期の事業には私の祖父である長瀬徳太郎もかかわっています。私がまだ小さかった頃、隣に住んでいた徳太郎から子守唄代わりに聞かされた冒険談の内容も交えながらその一端をお伝えしたいと思います。
1900(明治33)年、初代の長瀬伝兵衛から数えて4代目の伝三郎が実弟(伝次郎)をフランスに送り、その後、リヨンに出張所を開設。それからしばらくして、伝三郎の2人の娘と後に結婚することになる徳太郎と千尋を、合成染料の総代理店契約締結を実現させるために相次いで渡仏させます。
その際、交渉相手のスイスのバーゼル化学工業社(以下、チバ社※)のマネージャーとの会話でフランス語がわからなくて苦労したとか、第一次世界大戦中に自身の結婚式のための帰国ついでにアメリカを視察しようとイギリスの客船ルシタニア号に乗船したところ、ドイツのUボート(潜水艦)に見つかり、沈没させられる寸前、船長の機転で九死に一生を得た等々、徳太郎は風変わりな冒険談を何度も私に聞かせてくれたものでした。
なお、ルシタニア号は徳太郎をアメリカに降ろした後の1915(大正4)年5月7日、再びUボートに発見され沈没させられ、1000人以上が命を落としました。
そのような大変な経験をしながらの苦労は報われ、見事、チバ社との総代理店契約締結に成功します。それを機に、日本国内向けの合成染料のビジネスが一気に伸長し、会社もだんだんと大きくなっていきました。

チャレンジの歴史。正しい方向に変わり続ける
ここまでの話と今のビジネス、会社のカルチャーにつながる要素を1つ抽出すると、それは「新しいことにチャレンジする精神」です。
年表にある通り、1900(明治33)年にはチバ社と合成染料の取引を開始、1923(大正12)年にはアメリカのイーストマン・コダック社とフィルムの取引を開始、1930(昭和5)年にはアメリカのユニオンカーバイド社と総代理店契約を締結、1968(昭和43)年にはGEプラスチックス社と総代理店契約を締結するなど、その時代に求められているものを見極め、事業領域を広げながら今日に至っています。
しかし、当時の取引相手で今日その社名、あるいは事業がそのまま残っている企業はほとんどありません。
たとえば、徳太郎が忍耐強く交渉したチバ社は、現在ではBASFに買収されました。また、イーストマン・コダック社は、デジタル技術の登場によりフィルム事業が衰退し、その後、破産申請しました。ユニオンカーバイド社はダウ・ケミカルの一部となり、GEプラスチックス社(サウジ基礎産業公社)に売却されています。
取引先の事業の変化は、世の中の求めていることが変化していることを意味しています。商社である私たちもそれに合わせて変化していく必要があるでしょう。NAGASEの歴史はチャレンジの歴史でもあります。そしてこれからも存続するためには、そのチャレンジ精神を発揮し続けなければならないのです。
ただ、変化すれば何でもいいわけではなく、正しい方向に変わり続けなければなりません。
では正しさとは何なのかといえば、当社にとって正しさの軸となるのが、グループの経営理念である社会の構成員たることを自覚し、誠実に正道を歩む活動により、社会が求める製品とサービスを提供し、会社の発展を通じて、社員の福祉の向上と社会への貢献に努める」になります。
少し前になりますが、あるアジアの国ではいわゆる「袖の下」が慣習として存在しており、事業を拡大させる早道と考えられていた時代がありました。それでも、当時の現地の社員が次のように言ってくれたことは、本当にうれしくて感動したのを覚えています。
「袖の下を使えば、商売はもっと伸びると思います。でも、うちの会社は誠実正道を理念に掲げているのでそれはやらないようにしています」
もちろん、損をしていいというわけではありません。でも、道に外れたことはしてはいけないという理念が国内だけでなく、海外にも根づいているのは、当社らしいことだと誇らしく思っています。
メーカーの顔も持つ商社。グループで協力し合う風土に
取引先の方々から「NAGASEの人はおとなしい人が多くて、あまりガツガツ来ないね」とよく言われることがあります。「おとなしいだけ」だと、私としては心配なのですが、その続きとして「でも、やってほしいと思っていることを、伝える前に提案してくれるのはありがたい」とも言ってくださる方がたくさんいらっしゃいました。
どうしてそういうふうに言っていただけるのかを考えたところ、誠実正道の実践以外にもう1つ理由が思い浮かびました。
それは、たとえば、当社が化学系専門商社としてビジネスをしていますので、今業界でどのようなことが求められているかについて、各組織が情報交換し、研究して、お客様に付加価値を提供できるよう努めているからです。また、長瀬産業に研究開発機能があるほか、国内外グループ企業には化学品や食品素材の製造機能もあり、メーカーの皆さんが困っていること、求めていることを自分たちも経験して知っていることも大きいように思います。
実は恥ずかしながら、高度経済成長期の頃は各部署を競わせる方針をとっていたこともあり、一緒に売上を上げるというよりも、自分たちの部署だけで売上を上げるという風潮が社内で広まっていました。
その頃、私は現場の責任者をしていましたので、「協力して売上が上がったときは、両方の部門にポイントがつくように考えるから、情報共有しながらやってほしい」と伝えたところ、渋々ながら協力してくれるようになりました。それでも、協力してうまくいくと、やはりうれしいんですね。一緒に取り組んで、一緒に喜びを分かち合うことの素晴らしさを知ってからは、よく協力するようになってくれました。
最近の例を挙げると、この8月に当社も有志連合に加入している、東北大学内にある3GeV高輝度放射光施設「NanoTerasu」(ナノテラス)を訪れたときのことでした。そこではグループ内の企業の社員たちが組織の垣根なく協力して一緒に研究をしていたのです。
グループ企業の中にはもともと独立独歩で事業を展開していた会社もありますから、最初からNAGASEの理念が浸透していたわけではありません。しかし、グループに加わった後は、研究者同士、新しいことにチャレンジするのが面白いからなのか、お互いに刺激し合えるからなのか、理由は1つではないかもしれませんが、とにかく協働するカルチャーを醸成してくれていることに感謝しています。
停滞・衰退を避けるには失敗を恐れずに挑戦する
もちろん、グループ企業、組織間で協力し合って活動したとしても、すべてがうまくいくわけではありません。私が社長をやっていた頃も失敗をたくさん経験しました。
たとえば、あるとき、台湾から輸入したDVDレコーダーが売れに売れたことがあります。しかし、製品から煙が出たことで状況は一変します。すぐに通商産業省(現・経済産業省)に報告、お詫び広告を出し、製品の回収を行ないました。
問題の本質は、メーカーの意識を持って活動していなかったことにあります。その点は大いに反省すべきところで、メーカーであるなら設計管理、製造工程管理、品質管理の3つが当たり前にもかかわらず、私たちは商社的な発想のみで考えてしまっていたのです。
この件については購入してくださったお客様をはじめとして、多くの方にご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳なく思っています。ただ当時、「慣れないBtoCのビジネスは金輪際するべきではない」と話す社員に対して、私は大反対しました。「今回はメーカーの立場であることを認識していなかったのがいけなかった。次やるときはその点をしっかりと考慮して、必要な機能を準備すればいいのであって、新しいことにチャレンジするのをやめないでほしい」と伝えました。
「企業寿命30年説」という言葉が昔からあるように、同じ仕事ばかりをしていると、組織も企業も必ず停滞・衰退します。それを避けるには、新しいことに取り組むしかないのです。
徳太郎の語る冒険談の一つに、日本のある経営者の方とヨーロッパでお会いした際、「長瀬さん、商社は商売だけやっていてはダメだよ。モノづくりをやらないとダメだ」と言われたというエピソードがあります。徳太郎はその言葉が頭にあったのか、その後、商社でありながら、複数のモノづくりの会社を創業しました。
以後、統合して現在はナガセケムテックスという会社として存続しており、グループの中核を担うメーカーとして使命を全うしてくれています。
創業当初からあった「挑戦する風土」は、現代にも引き継がれていまして、私が入社した頃も先輩から「本当にやりたいことがあるなら、提案すればやらせてもらえるから」とよく言われたものです。それは今も同じで、わりと皆さん、よい意味で熱意を持って好き勝手に活動しているのではないでしょうか。
挑戦にまつわるエピソードをご紹介すると、あるアイデアマンが、建材向けの画期的な材料開発に成功したことから、施工まで行なう事業にチャレンジしたことがあります。
しかし、1つの商材だけで施工まで行なうことは困難で、この材料は建材メーカーさんに引き取ってもらうことになったのですが、こういうこともやってみないとわからないものです。
ですから、社員の提案に対し、「これはやってはいけない」と制限するべきではないと私は思っています。これからも失敗を恐れずに、そして社員みんなで協力し合って仕事をすることができれば、メインの事業は変化するかもしれませんが、正しい道を歩むというNAGASEの理念はずっと続いていくのではないかと考えています。
※バーゼル化学工業社(SocietyofChemicalIndustryinBasle):略称チバ社またはシバ社(Ciba)。1945(昭和20)年にこれが正式な社名となった
取材・構成:池口祥司 写真提供:長瀬産業
本記事は、電子季刊誌『[実践]理念経営Labo』Vol.15から転載したものです。登録不要、全編無料でお読みいただけますので是非ご覧ください。





































































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