人を見て法を説く~松下幸之助「人を育てる心得」
2016年4月25日更新
指導者は同じことでも相手により説き方を変えることが大事である
三国志の中に有名な赤壁の大戦というのがある。魏の曹操百万の大軍が呉を攻め、呉の国内は戦うか和を乞うかで大きく二つに割れた。この時、劉備玄徳を主君にいただく諸葛孔明は、ここで呉が降れば天下はこのまま曹操のものになってしまう。なんとか合戦にもち込ませようと、みずから呉王孫権説得のため、呉に乗り込んだ。
すると呉の主戦論者である魯粛は、孔明に、「主君に戦いを決意させるためには、魏の戦力を実際より少なめにいってください」と頼んだ。ところが、孔明は孫権に魏の兵力をたずねられると、「百万といっていますが、ほんとうはもっと多く、しかも精鋭ぞろいです。だからこの際和を求められたほうが賢明でしょう」と答えた。孫権も驚いて、「それならなぜ玄徳は呉よりも弱体なのに、あえて曹操と戦おうとするのだ」と反問した。すると孔明は、「私の主君は漢の帝室を復興するため、逆臣である曹操と戦うのです。いわば大義の戦いで、勝敗は二の次です。しかし呉が自国の安泰を中心に考えるのでしたら、和睦をおすすめします」と答えたので、孫権も大いに発憤して一戦を決意し、両者力を合わせて史上に残る大勝利をおさめたのである。
孫権も一世の英雄であるから、敵の兵力を少なめにいうという程度の小細工では容易に動かないと見た孔明の思い切った説き方が成功したわけだが、これはいわゆる"人を見て法を説け"ということを地でいったものであろう。
どんないい考え、すぐれた方策をもっていても、それが他の人によって受け入れられ、実行されなければ、それは価値なきにひとしい。そして人は必ずしもつねに最善の考え、最善の方策を受け入れるとはかぎらない。やはり、そこに説得力というものが必要であり、その説得力を生む一つの大きな要素は、その相手相手にふさわしい説き方をする、いわゆる人を見て法を説くということであろう。だれかれかまわず同じことをいっていたのでは、決してうまくいくものではない。人により相手によって、あるいは大義を説き、あるいは利を説き、時に情に訴え、時に理に訴えるというように、適切に説いていくことが大切である。
ただ相手により説き方を変えるには、やはりそれだけの知識なり体験をもっていなくてはならない。だからそういうことのためにも、指導者はつねづね、いろいろと経験を積み、知識を養い高めていくことがきわめて大切だと思う。
【出典】 PHPビジネス新書『人生心得帖/社員心得帖』(松下幸之助著)