無理解な上司、先輩~松下幸之助「人を育てる心得」
2016年12月 2日更新
新入社員は、初めはだれでも、上司、先輩について仕事を教えてもらいます。その場合、当然のことながら、上司、先輩にはいろいろな人がいます。
その場合、どちらの上司、先輩についたほうがいいかということです。
これは、常識的に考えれば、当然立派な先輩についたほうがいいということになるでしょう。それはなにも仕事に限りません。何ごとでも、いい指導者、先生につけば、その技が上達する、だから先生を選ぶことが肝心だと一般にいわれますし、私もそのとおりだろうと思います。非常にうまく指導してくれる師匠、世間で「非常にいい先生だ」といわれるような理解のある人について習っていくことは、きわめて好ましいことだと思うのです。
けれども、その反面、そういうところからは、いわゆる"名人"は出にくいとも考えられます。というのは、先生がよければ、どうしても先生のとおりにやるということになってしまいますから、ある程度のところまでは一様に上達するけれども、それ以上に画期的なものは生まれてきにくいという一面があると思うのです。
その点、むしろ非常に無理解というか、非常識ともいえるような先生のもとで修業した人の中からは、名人といわれる人が出る場合が多いようです。当然ほめられていいことに対してでも、めちゃくちゃに言われる。"ばかばかしい。もうやめてしまおう"と思う場合が何度もある。しかし、それでも耐えしのびつつ辛抱してやっていく。そして何ものかをみずから会得した人に、先生を超えるような名人が出てくるということでしょう。これは非常に面白い点だと思いますが、そういうこともまた人間の妙味といえるのではないでしょうか。
ですから、理解ある立派な先輩についた人は、それはそれで感激し、そのことを喜んでいいと思いますが、一見無理解と思われる先輩にぶつかった人も"これは、自分が名人になれるチャンスだ"というように、積極的に受けとめてはどうでしょうか。そこに自分を大きく伸ばしていく道があるのではないか、そんな気がするのです。
【出典】 PHPビジネス新書『人生心得帖/社員心得帖』(松下幸之助著)