あるがままにみとめる~松下幸之助「人を育てる心得」
2016年8月18日更新
指導者は人、物すべてをあるがままにみとめなくてはならない
聖徳太子のつくられた十七条憲法の第一条に、「和を以て貴しとなす。さからうこと無きを宗とせよ。人みな党あり。......」とある。"人みな党あり"というのは、人間というものは、必ずグループ、党派をなすものだということであろう。それが人間の本質だと太子は見抜いておられたのだと思う。
たしかに、人間の集まるところ、大小の別はあっても、必ずグループ、党派があるといっていい。そういうものがしぜんにできてくるわけである。
けれども、そうしたグループ、党派というものが全体の運営の上で弊害をなす場合が少なくない。特に昨今"派閥"と呼ばれるものにはその傾向が強い。そういうところから、"派閥解消"ということがさかんにいわれ、いろいろと努力もされているが、そのわりにあまり効果があがらないのが実情のようである。これは結局、派閥をつくるのは人間の本質であり、派閥をなくすことは不可能だからではないだろうか。つまり、派閥というものはなくせるものではなく、その存在をみとめた上で、活用、善用すべきものだと思う。そのことを太子はいっておられるわけで、だから"和を以て貴しとなす"と、派閥だけの利害にとらわれず全体の調和を大切にしなさいといわれたのではないだろうか。
これが太子の偉大なところだと思う。人間の本質というものは変えることができない。それを変えようといろいろ努力しても無理である。というより、人間自身を苦しめることになる。だから、その本質はまずこれをあるがままにみとめなくてはならない。そして、その上でどうあるべきかということを考える。それが大切なわけである。これは人間にかぎらず、ものごとすべてについていえることであろう。
けれども実際にはなかなかそれができない。ともすれば、好きだとかきらいだとかいった感情や、自分の利害にとらわれてものごとを都合のいいように見てしまう。そうなると、真実と離れた姿しか見られないということになる。それでは正しい判断もできないし、事をあやまる結果になってしまう。
だから、指導者たるものは、できるかぎりとらわれを排して、ものごとをあるがままに見るようにつとめなければならない。そうしたあるがままの認識があって、はじめて適切な指導も生まれてくることを銘記すべきだと思う。
【出典】 PHPビジネス新書『人生心得帖/社員心得帖』(松下幸之助著)