まず信頼すること~松下幸之助「人を育てる心得」
2016年9月29日更新
今日まで、いろいろな人とともに仕事をし、さまざまな方々とご縁をもってきました。そして、今、この時点でしみじみと感じるのは、やはり人間というものは、大きく見ればすばらしいもので、信頼すれば、必ずそれにこたえてくれるものだということです。また、信頼しあうことによってお互いの生活に物心両面の利がもたらされ、人間関係もよりスムーズになるということです。
自分の身内三人だけで電気器具の製造を始めてまもないころ、こんなことがありました。仕事が三人だけではどうしても追いつかないほど忙しくなったので、初めて四、五人の人に働いてもらうことにしたのです。ところが一つの問題が起こりました。それはどういうことかというと、そのときつくっていたソケットなどの製品には、アスファルトとか石綿、石粉などを混ぜあわせてつくる、いわゆる煉物というものを材料として使っていたのですが、この煉物の製法を教えるべきかどうか、という問題が出てきたのです。というのは、当時この煉物というのはまだつくられたばかりで、どの工場でもその製法を秘密にしていました。兄弟とか親戚など、限られた身内の者だけにその製法を教えて、その人たちが作業にあたるという姿が一般的だったのです。
しかし、そのとき、私は考えました。もし、他の工場のように製法を秘密にすれば、作業が身内の者しかできないだけではなく、その仕事場を他の従業員に見せないようにしなければならない。これはまことにめんどうで能率も悪い。それ以上に、自分の工場で働いてくれるいわば仲間に対し、そのような態度をとってよいものだろうか。そこで結局、雇い入れた人にも適宜製法を教えて、その製造を担当してもらうことにしたのです。
このようなやり方について、ある同業者の方が、「製法が外に漏れる危険があり、同業者が増えることにもなりかねない。それはぼくたちにとっても、君自身にとっても、損になるのではないか」と忠告してくれました。しかし、その忠告は忠告としてありがたく受けましたが、その仕事が秘密の大切な仕事であることを話して依頼しておけば、人はむやみに裏切ったりするものではなかろうというのが、そのときの私の考えでした。
その結果は、幸いにして、製法を外に漏らす人もいませんでしたし、何よりも、重要なことを任されたことで、従業員が意欲をもって仕事に取り組むようになり、工場全体の雰囲気ものびのびと明るくなって、仕事の成果があがるという好ましい結果が生まれてきたのです。
その後も、できるかぎり従業員を信頼し、思いきって仕事を任せるようにしてきました。たとえば、二十歳を過ぎたばかりの若い社員に、新たに設ける金沢の出張所開設の仕事を任せたり、これはと思う人に製品の開発を任せたりしてきました。そして、それらの人たちはおおむね期待以上の成果をあげてくれたように思うのです。
そのような体験を幾度となく重ねる中で、人間が信頼しあうことの大切さを身にしみて感じるようになったのです。
もし、ともに働いてくれている人に不信感をもっていたら、どのようになっていたでしょうか。きっと、自分自身精神的にも苦痛であったでしょうし、仕事の面で非能率な姿がいろいろ生まれてきたのではないでしょうか。
確かに人間の心には、愛憎の念とか損得の念とかさまざまな欲望があります。ですから、そういったものにとらわれて他人を見れば、自分のもてるものを奪おうとしているのではないか、あるいは自分の立場を損なおうとしているのではないかという疑いの気持ちも起こってくるかもしれません。しかし、そうした不信感から生まれてくるのは、不幸で非能率で悲惨な姿以外の何ものでもないという気がするのです。
大切なのは、やはりまず信頼するということ。信頼することによってだまされるとか、それで損をするということも、ときにはあるかもしれません。かりにそういうことがあったとしても、信頼してだまされるのならば自分としてはそれでも本望だ、というくらいに徹底できれば、案外人はだまさないものだと思います。自分を信じてくれる人をだますということは、人間の良心が許さないのでしょう。
"人間というものは信頼に値するもの"、そういってよいのではないかと思うのです。
【出典】 PHPビジネス新書『人生心得帖/社員心得帖』(松下幸之助著)