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自分を高める義務~松下幸之助「人を育てる心得」

2017年6月 6日更新

自分を高める義務~松下幸之助「人を育てる心得」

私どもの会社では、昭和四十年に完全週五日制に踏みきったのですが、それから半年ほどたったころ、私は社員につぎのような話をしたことがあります。

「わが社が週五日制になってから半年の月日がたったけれども、皆さんは週二日の休みをどのような考えで過ごしておられるだろうか。一日教養、一日休養というように有効に活用できているかどうか。二日間の休みを無為に過ごすのでなく、心身ともにみずからの向上をはかる適当な方法を考え、実行していただきたいと思う。

ただ、そのみずからを高めるというか、教養を高めたり、仕事の能力を向上させたり、あるいは健康な体づくりをすることと関連して、私は一つ皆さんにお尋ねしたい。それはどういうことかというと、ほかでもない。皆さんが勉強なり運動をするときに"自分がこのように自己の向上に努めるのは、ただ単に自分のためばかりではない。それは社会の一員としての自分の義務でもあるのだ"という意識をもってやっておられるかどうか、ということである。そういうことを皆さんは今まで考えたことがあるかどうか、また現在考えているかどうかをお尋ねしたいと思う」

そのとき、なぜ私がそのようなことを質問したのかといいますと、そういう義務感というものは、社員一人ひとりが常にもっていなければならない非常に大切なことだと考えていたからです。

私たちが社員として、みずからすすんで常識を豊かにしていくとか、あるいは仕事の力をさらに高めていくということは、もちろん自分のためになることです。が、私はそれは同時に社会に対する一つの義務でもあると思うのです。というのは、たとえば私たちの社会で、すべての人が一段ずつ進歩したとするならば、社会全体もそれによって一段向上することになります。ところが他の人がみな三段進歩したのに自分は一段しか進歩していないということになれば、そのことによって、社会全体の平均の段数は三段上がらないことになります。つまり、自分一人のために全体の水準の向上が犠牲になるわけです。

ですから、自分の教養を高めるとか、自分の技術を向上させるとか、あるいは健康な体をつくるということは、自分を幸せにし、また自分の社会的地位を高めるということなどのためばかりでなく、社会の一員としての共通の責任であり義務であると考えなければなりません。そういう義務感というか、社会の一員としての連帯感というものを、私たちは一人ひとり、よく認識しておく必要があると思うのです。

そう考えると、逆に自分が勉強するもしないも、それは自分の勝手だ、といった態度は許されないということになってくるわけですが、その点、皆さんの意識はいかがでしょうか。

【出典】 PHPビジネス新書『人生心得帖/社員心得帖』(松下幸之助著)

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