他者視点を獲得する「疑似体験」とは?
2022年8月30日更新
社会の変化や働き方の多様化を背景に、職場において他者に思いを馳せる能力が低下している方が増えてきた印象があります。他者に対する無関心、あるいは自己の価値観を押し通す発想・行動からはチームワークは生まれません。本稿では、他者視点を育むための方策について考察したいと思います。
他者視点とは? ――他者の存在に意識を向ける
夏の全国高校野球選手権大会で優勝した仙台育英高校の須江監督のインタビュー(※1)が話題になっています。
インタビューの冒頭、
「宮城のみなさん、東北のみなさん、おめでとうございます!」という地元への配慮のことばから始まり、次に対戦したチームへの感謝のことばが続きます。
「今日の下関国際(高校)さんもそうですけど、大阪桐蔭(高校)さんとか、そういう目標になるチームがあったから、どんなときでも、あきらめないで暗い中でも走っていけた」
そして最後は、すべての高校生に対する感謝の思いを述べてインタビューを締めくくっています。
「本当に、すべての高校生の努力のたまものが、ただただ最後、僕たちがここに立ったというだけなので、ぜひ全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います」
このインタビューが多くの人の心を動かしたのは、須江監督のことばの端々に、周囲の人たちへの感謝や配慮の念が感じられたからでしょう。
自分たちのことだけを考えるのではなく、直接お世話になった方がたや、会ったこともないけれど間接的にお世話になった方がたのことを想像して感謝する姿勢に、多くの人々が、忘れかけていた大切なことを思い出させてもらえたのだと思います。
内向き志向の社員が増加する現状
ところが、ビジネスの現場に身を置いていると、上記とかけ離れた状態が常態化しつつあることに気づきます。つまり、相手の立場に立って考えたり、相手の思いを慮る人が少なく、反対に自分の都合を優先したり、自分の目線でものごとを判断する人が多くなってきたという現実です。複雑さを増す環境の中、自分のことで精いっぱいのあまり、相手のことを察する想像力が弱体化しているのが、その理由かもしれません。
しかし、一人ひとりが内向き志向に陥って「自分ファースト」の発想を掲げると、人間関係の質が低下します。モチベーションの低下や、メンタル不調者の増加、ハラスメント事案の増加など、職場に山積するさまざまな問題はこうした事情が影響しているように思われます。
疑似体験で他者視点を獲得する
従って、職場の問題を解決し、生産性の高いチームをつくるためには、一人ひとりが視野を広げて内向き志向から脱却する必要があります。前述の高校野球の監督のように、意識のベクトルを自分の外側に向けて他者の存在に思いを馳せるような思考・行動パターンを取る人が一人、また一人と増えてくると、職場は変ってくるでしょう。
ロールプレイによるトレーニング
そして、そのような意識・行動変容を実現する上で効果的なのが、ロールプレイを通じて相手の立場を疑似体験してみることです。例えば、管理職対象の「フィードバック研修」などでは、所定のシナリオにそって「上司役」「部下役」に分かれたロールプレイに取り組んでいただきますが、ご受講者の感想として「部下を演じてみて、部下の思いがよくわかったし、部下から見た上司のあり方が理解できた」などの肯定的な意見が圧倒的に多く寄せられます。
管理職の方が若手社員を演じてみたり、女性のメンバーを演じてみたり、あるいは年上の部下を演じてみる。逆に、若手社員が上司を演じてみる。こうしたアクションは、視野の拡大につながって、相手の立場を理解する上で効果が大きいと言えます。
したがって、これからの研修には何らかのロールプレイを取り入れた擬似体験的な要素を盛り込むことが望ましいでしょう。
言うべきことは言う
しかし、相手の立場に立って相手を理解することと、相手の考えや意見を鵜呑みにすることを混同してはいけません。相手の考えや意見をいったんは受容したとしても、それが誤ったものであるならば正しい方向へ是正しなければいけません。
例えば、「なるほど、君はそう考えたんだね。でも、その考え方で仕事を続けるとお客様や会社に迷惑をかけるし、君自身も成長しないよ」というように、相手の立場に立って考え受容する優しさと、言うべきことは毅然として言う厳しさの両面が必要なのです。そして、両者のバランスの取れた上司のもとで、部下は心理的安全性を感じつつ、厳しく鍛えられることによって人間的に成長できるのです。
そういう意味で、上司の方がたには愛情に裏打ちされた厳しさをもって、個人の成長と組織の発展に貢献していただきたいものです。
※1 出典:朝日新聞デジタル(2022年08月22日)
的場正晃(まとば・まさあき)
PHP研究所人材開発企画部部長
1990年、慶應義塾大学商学部卒業。同年PHP研究所入社、研修局に配属。以後、一貫して研修事業に携わり、普及、企画、プログラム開発、講師活動に従事。2003年神戸大学大学院経営学研究科でミッション経営の研究を行ないMBA取得。中小企業診断士。