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会社は何のためにあるのか~八天堂代表・森光孝雅氏が語る(2)

2023年6月 6日更新

会社は何のためにあるのか~八天堂代表・森光孝雅氏が語る(2)

2023年4月19日に開催された月刊誌『PHP』創刊900号記念イベントでの森光孝雅氏(株式会社八天堂 代表取締役)の特別講演をご紹介する第2回。神戸三宮への出店を前に、右腕として活躍していた店長に辞職され、森光氏は窮地に陥ります。その窮地を、どのように乗り越えたのか、またそこから得たものとは?

※あわせてお読みください。
「逆境を活かす~八天堂代表・森光孝雅氏が語る(1)」
「厳しいときにこそ人間としての真価が問われる~八天堂代表・森光孝雅氏が語る(3)」

経営理念とは?

14号店の出店間際になって、その店長が私の元を去っていった。原因は、私のなかで経営理念が確立されていなかったからだと思います。

経営理念は、私が地元に帰ってきたときに、親が壁に飾っていました。その後、父親と一緒に経営理念を新たにして掲げていたのですが、要は綺麗な言葉を並べていたのだと思います。腹に響かないんですよ。自分たちでつくった言葉が。

私はある時、父親に「この経営理念に心が震えるか」と尋ねた覚えがあります。ところが、父親は何かとぼけた感じだったんです。「震えるような感動をすることなんかないぞ」と言ったのを思い出しますけど、それでは経営理念とは言えないんじゃないかというような話をして、父親とちょっと言い合いになったようなことがありました。

しかし、よく考えると、自分自身も心が震えていなかったんです。「よし、命をかけてやるぞ」と言ったら心が震えるじゃないですか。何があってもやり抜いていくっていう気持ちになる。それが薄かったんです。
経営理念は「ないといけないもの」「つくらないといけないもの」と、勉強会などで教わっていましたから、無理やりつくっていたという感じでした。私自身、心が震えていないのですから、社員に浸透していくわけがないですよね。

経営理念に魂が入っていない。それでも大きくなりたい。社員を何百に、売上をいくらに、何店舗にと、こんな価値観で事業を進めていったものですから、ここから大変なことになっていくわけです。

神戸への出店が頓挫

1号店の開業から10年足らずの間に、経営環境がずいぶん悪くなっていました。1店舗、2店舗と赤字になってきて、しかも有給なんか1日も取れない。完全週休2日だったものが、もう週1日休めたらいいという状態です。
自転車操業をしながら膨張して、大型店を出したら逆転ホームランになるんじゃないかと、その14番目の神戸三宮に出店するというところまでいったわけです。
そこで、期待していた店長が私のもとを離れていった。おかげで、その出店計画は頓挫しました。

当時「何ということをしてくれたのか」と彼を恨みました。でも、もしこの店を開いていたら倒産していたと思います。今振り返れば、彼は恩人でもあるんですよね。人生万事塞翁が馬といいますが、何が自分に幸いするかわからない。彼は私のもとを去っていきましたが、大きなものに気付かせてもらえたのかなというふうに思います。

幹部社員が次々と去っていく

しばらくしたら、私も、僕も話があると、店長クラスの人材が私の元にやってきました。辞めたいという話です。
当時の私は、頭にきて彼らを責めました。すると、黙って聞いていたある店長が、机をたたいて「社長こそ、いい加減にしてほしい。自分勝手にやって」と。それでも私は、彼の言葉を遮って、頭ごなしに「わかった。出ていけ」と言いました。

もうほんとうに、私はそんな人間になっていたんです。いろいろな問題が起きているのに、全部、目の前にいる社員の責任、世の中の責任、業界の責任というように、典型的な他責の考え方になっていたんです。

うまくいかない経営者、うまくいかない人間は、起きることを全部他責にすると、よくいわれます。自分に責任があるのではないか、いやもっといえば、問題が起こるのを必然だと、何か意味があるのではないかと受け止めていける人間というのが、やはり人生も経営も成功するんですよね。

そのころの私は、うまくいかない経営者の典型でした。よくないことは他責。いいことが起きたときは「社員みんなのおかげ」なんて口では言っていますが、内心は「俺がやっている」と思っていたのです。

皆さんのおかげで、社員のおかげでと、心から思えるような方が成功する。これは、私の周りを見てもそうです。そうでない方もいると思われるかもしれませんが、それは長続きしません。長いスパンで歴史を見たときには、もうこれは間違いなく言い切れると思っています。

民事再生法の書類を見せられる

話を戻すと、店長はいなくなる、店を開けられない、そして一気に赤字になりますから、銀行さんから呼び出されます。「社長、今の状況をわかっていますか」と厳しいことを言われ、ついには弁護士の先生のところに連れていかれました。そして開口一番「社長のところでパンをつくれるんですか」と聞かれます。「私にはパンしかありません」という話をしたら、その時見せられたのが、民事再生法の書類でした。
私は愕然としました。そのときにはさすがに「潰れるんだ」と思ったのです。

そのとき弁護士の先生のところに連れていってくれた銀行の方とは、今でもたまにお会いして酒を酌み交わしながらそのときの話をするわけです。彼が言うには、私からは「危機感が感じられなかった」と。
私としては、その時は、かなりしんどかったんですよ。店長は辞めるし、パンを焼く人がいないので、自分自身が店から店にかけずりまわって粉まみれになってやっていましたから。でも実は、悲壮感とか疲労感というのはあったのですが、危機感というのは微塵もなかった。彼が「早晩、必ずこの男は潰すなと思った」と言ったのは、実は当たっているんです。

ありがたいことに、彼は熱血漢でもありました。本当に言葉が厳しかったのですが、でも私は彼にしがみついていこうと思いました。いわゆる「貸しはがし」があったような時代でしたし、メイン銀行にも「もう引き上げますから」と言われていましたから、何としても彼についていくしかなかったんです。

危機感のない経営者

今となっては、私にもわかります。我が町の経営者と話すなかで、悲壮感や疲労感をもっている人は結構いるのですが、危機感があるかどうかは目を見たらわかります。
そして、何があっても、社員とその家族のために会社を何とかしたいんだという人。一方で、業界が厳しい、地域が高齢化・少子化で人口が減ってと言い訳をする人、このどちらかに分かれます。

危機感をもっている人は、良くなっていくケースが多いです。疲労感・悲壮感で他責にする経営者というのは、ほとんど厳しいです。良くなっていかない。「今のままでは、もう潰れますよ、間違いなくそうなりますよ」と私は言わせてもらっています。

そして、危機感のない経営者には、経営理念が確立されてないことが多いです。繰り返しますが、昔の私のように壁に飾ってあるだけでは駄目なんです。心が震えるような経営理念かどうか、そして、何のために会社をやっているのかというところが大切なのです。

また、危機感のない経営者というのは「どんぶり勘定」をすることが多いですね。ビジョンとか戦略を明確にして経営をする方は「どんぶり経営」はされません。経営理念が確立されていない、「どんぶり勘定」をする、要は行き当たりばったりの経営をする。これを改めない限り、たいがいは駄目になっていきます。

若い社員の夢を壊す

経営というのは、もちろんロマンもありますけど、特にダメになっていくときには恐ろしいものです。私自身も「もう、いなくなりたい」と心の底から思ったことがあります。失敗すると、社員、社員の家族、業者さんを含めたステークホルダーの方を裏切ってしまうことになります。
私の場合は、特に若い社員の夢を絶望に変えてしまいました。本当に罪深い経営者だと思っています。申し訳ない、罪滅ぼしをさせてほしいと思っても、当時には戻れません。

当時のことに話を戻しますと、銀行の方と一緒に事業の再建計画を立てたのですが、数字は一向に良くなりませんでした。そんな厳しい状況が続く中で、ある女性社員、Aさんとしておきますが、彼女が新しいパンを考えてくれて、全店でやっていくということがありました。ポップとかディスプレイも、かわいいものをつくってくれて、私もそのAさんが自慢だったんです。

ところが、Aさんが働いてる店の店長から「Aさんと連絡がとれません」と電話がありました。直接Aさんのところに電話をかけたのですが、やっぱり繋がらない。
しばらくして親御さんから連絡がありました。「午後9時ぐらいに、ちょっと家まで来てくれないか」というわけです。

私は、親御さんを訪ねる前にAさんが働いていた店に行きました。するとAさんが一生懸命つくってくれたPOPとかディスプレイ、かわいい人形とかが飾ってあるんです。私は、もういたたまれなくなりました。
そのときには、会社の状況も悪いですから長時間労働です。そしてAさんは、朝から晩まで働いたあと、帰りがけにスーパーに寄って、この食材をパンに入れたら美味しいんじゃないかとか考えてくれて、家で試作をしてくれていたんです。

Aさんのお宅にお邪魔すると親御さんが「ちょっと、社長、そこに座りなさい」と。「いったい、うちの娘に、今どんなことをしているのか、わかっているのか。無茶苦茶じゃないか。いや、うちの娘だけじゃないぞ。お宅の社員みんなだ。聞くところによると、とんでもない環境になっている」というお叱りです。
私は頭が上げられなかった。私にも娘がいます。娘が夢を描いて、そんな環境の会社に入ったら、1日も早くやめろと言います。
でも、Aさんは親御さんの前では「楽しい」と言いながらパンをつくって、「明日、これを持っていくんだ」と言ってくれていたそうです。だから親御さんも、Aさんの状態に気がつかなかった。

Aさんは、パン屋さんで働くのが小さいときからの夢だったそうです。入社したときは、家族みんなで心から喜んだそうです。「それなのにうちの娘は『もう家から出たくない』と言っている」と言われました。

Aさんだけじゃない。多くの社員が辞めていきました。
各地域で採用してる社員とかスタッフさんに、辞めてもらわないといけないこともありました。こんなにつらいことはないです。私を信じてやってくれているのに「辞めてくれ」というのは、つらくてつらくて仕方がなかったです。

そういった状況ですから、当然クレームも起きてくる。もう八方ふさがり、針のむしろです。
毎日、どんどん悪くなって、打つ手がなくなっていきます。全く希望が見出せない絶望的な状況でした。
「私がいないほうがいいんじゃないか。目の前にいる社員、社員の家族、業者さんやお客さん、みんなにとって、私がいないほうが不安がなくなっていくんじゃないかな」と心の底から思い始めていました。

全財産を投げ出して救ってくれた弟

普通そこまでいったら助かりません。確実に民事再生法になっています。なぜ、いま私がここにいるのかというと、私には弟がいて、栃木の宇都宮で1店舗でパン屋やっているのですが、その弟から連絡があって「兄貴は大変らしいな」と言ってきてくれた。「貯金があるので、これで乗り越えてほしい。2000万円ある」ということだったんです。

1個100円ぐらいのパンをコツコツ売って、2000万円貯めるのがどれだけ大変なのかというのは、私は誰よりもわかっています。2000万円は、おそらく弟の全財産だったと思います。妻も子どももいます。なのに、親の言うことを聞かず好き放題やってきた兄貴に、自分の全財産を使って何とか乗り越えてほしいという弟がいる。義理の妹に、電話を代わってもらったときには、もう涙で言葉が出ませんでした。申し訳なくて。

そのとき私は、親の存在に改めて気づかされました。私の親は、洋菓子店1店舗で兄弟2人を育ててくれました。10人弱ぐらいの小さな洋菓子屋でした。

最初にお話ししましたが、私は店を出したころ「親には世話になっていない」「俺がやるんだ」と思ってやってきました。
親は、忠告していました。経営をそんなに勉強していないパン職人が、人が育っているわけでもないのに、どんどん店を出していたら、必ず潰れると。
しかし私は全く耳を傾けなかった。うるさい、うっとうしい、たった1店舗しかやっていない親に言われたくないと、心の中で思っていたんです。いつの間にか、商売が大きいか小さいかというのだけが価値観になっていたんですね。
経営が思わしくいかなくなってからは「死にたい」「いつ死ぬかわからんからな」と口走っていました。自分の子どもに、こんなことを言われるのは、親としては生き地獄です。私は、親の気持ちなんか考えずに言っていたのです。

しかし、ほんとうに困った時に弟が現れて、気づかせてもらったんです。この弟を育てたのは、紛れもなく私の両親です。頭をハンマーで殴られたような気持ちになりました。親のおかげで今があるんだと。
今まで親にしてもらったことも思い出しました。これまで思い出したことなんかなかったのに。
私は小学校2年生の時に行方不明になって、警察やレスキューが出動して大変な騒ぎを起こしています。見つかったときに、親に抱きしめられたことなどが走馬灯の如く思い出されました。

そういえば、親に心から「ありがとう」と言ったことがないというのにも気づきました。親に謝らないといけないという気持ちになって、親の前に行きました。
その時、私は、親の前で泣き崩れてしまったんです。両親は、私の背中と足を一生懸命、さすってくれました。皆さんも体験されたかもしれませんけど、胃カメラをのむときに看護師さんが背中をさすってくれると、すごく楽になりますよね。その感じです。私はそのとき、心がすごく楽になったんです。冷えかけて固まっていたのが、温かくなるのを感じたんです。

このまま、いなくなってはいけない。何とか生まれ変わりたい。少しでも頑張って、役に立つような人間になりたいという気持ちが、心の底から出てきました。
「神様、もう一度だけ命をください。チャンスをください。もしチャンスがもらえたなら、社員のために生きていきます」と。そして今も、八天堂という会社は100%社員のためにあるべきだと、強く思っています。

森光孝雅(もりみつ・たかまさ)氏 プロフィール

八天堂・森光孝雅

1964年、広島県三原市生まれ。中学・高校時代は卓球に熱中し、県大会3位の成績をおさめる。1991年、祖父の代から続く和菓子・洋菓子店を受け継ぎ、パン屋を開業。経営危機を乗り越え、2008年に口どけのよい「くりーむパン」を開発。スイーツパンという新分野を開拓した。2009年に東京に出店。メディアで取り上げられ、行列のできる店となり、業績を急拡大させた。現在は経営理念の社内浸透を図りつつ、アジアへの進出を加速させている。

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