コーチングに関する3つの誤解~正しく理解し、機能させるための課題とは?
2024年5月27日更新
産業界における1on1の普及に伴い、コーチングに再び注目が集まっています。一方で、コーチングに関する理解が不十分なため、間違ったやり方が横行し、職場の人材育成やコミュニケーションがうまくいかないケースも少なくないようです。そこで本稿では、コーチングの可能性と限界の両面に言及しつつ、人材育成においてコーチングを機能させるための課題を考察いたします。
コーチングの功績
コーチングが、日本の産業界に紹介されてから20年以上の年月が経過しました。この間、多くの関連書籍が発刊されたり、セミナーが開催されるなどして、コーチングの概念が急速に社会全体(教育業界や地域、家庭等も含めて)に普及しました。
コーチングの普及に伴い、指導者の方がたの指導方法が、答えや指示を「与える」スタイルから、問いかけを通じて「引き出す」スタイルへと変化していきました。自ら考え、自ら答えを見つける「自律型人材」の育成法を確立したという点では、コーチングが果たした貢献は大きかったと言えるでしょう。
コーチングに対する誤解
ところが、コーチングの実践が人材育成の機能低下につながる残念なケースも少なからず存在します。そのような状況が生じる原因は、コーチングに対する誤った解釈と使い方にあると思われます。コーチングを学びたての初心者が、陥りやすい誤解には次のようなものがあります。
誤解1:相手の話をさえぎってはいけない
相手の話はさえぎることなく、最後まで聴き切らなくてはいけない。相手の話がどんな内容であっても、話の腰を折るようなことは断じてやってはいけない。
誤解2:常に相手を受容し、承認しなければいけない
相手の言い分やあり方に対して、異論・反論があったとしても、それをぶつけることなくあるがままに受容し承認しなければならない。
誤解3:教えてはいけない
教えることによって相手の主体性が育まれなくなる。したがって質問によって相手に考えさせ、答えを引き出さなければいけない。
コーチングの考え方とスキルは、人間の本質に立脚して体系化されたものなので奥が深く、正しい理解と習得のためには相応の時間と経験が求められます。しかしながら、企業において管理・監督職の方がたに対して実施される研修は1日ないし2日の単発型が主流なので、その本質に迫ることは難しく、いきおいこのように間違った解釈をしてしまう指導者が大量に培養されてしまうのです。
上司は言うべきことを言わなければいけない
コーチングに対する誤解や、職場を取り巻く環境の変化(パワハラ予防、メンタルヘルス対策、離職予防、等々)もあって、世の中の管理・監督職の多くは、すっかり聞き分けのいい、優しい上司になってしまいました。
実際、公表されている各種調査結果からは、職場で「叱る」という行為が少なくなっている傾向が顕著です。一方で、最近の若手社員に目を転じると、厳しい指導への抵抗感をさほど感じない人が多くなっています。彼ら、彼女たちが厳しさをポジティブに捉える理由は、「自分の成長につながる」「改善点を把握できる」など、自分にとって必要だと受け止めているからなのです。
こうした実態を鑑みると、上司はもっと自信をもって部下に言うべきことを言わないといけないのです。部下が、本質からそれた発言を続けいる時は、途中で「介入」して軌道修正しないといけませんし、誤った考え方や行動に対しては承認ではなく「叱責」をすると同時に、何が正しいか、きちんと「指導」をしないといけないのです。
厳しい指導を支えるもの
厳しさが重要であるからといって、頭ごなしに叱ればいいということではありません。若い人を中心に精神的にもろい人が増えていますし、パワハラ、メンタルヘルスなど、さまざまなリスク要因もあるので、厳しい指導には細心の配慮が求められます。では、どのような点に留意すればいいのでしょうか。そのヒントを松下幸之助の人づくりに関するエピソードに求めてみましょう。
ある工場を松下幸之助が視察に訪れた。そこで製造している自転車ランプを手に取り、そのスイッチを動かしながら、幸之助は担当者に「今のスイッチは、どうなっているか」と尋ねた。「今でもこれ(かつて幸之助が考案したスイッチ)です。これを使わせてもらっています」と担当者が答えた瞬間、幸之助は鬼の形相になり、事務所中に聞こえるような大声で怒鳴り出した。
元・松下電池工業 専務 上田八郎氏が語るエピソードより
「これは、わしが考え出したスイッチやで! 君の考えたのはどれや。君は何も考えていないではないか!」 さらに、ぱっと立ち上がって手を出し、「返せ! 返してくれ!」と。給料を返せと言うのである。
そして怒るだけ怒った後は、鬼のような形相から一変して菩薩のような穏やかな表情に戻り、「もうええわ。しかし、君だったらやってくれると思ったし、今でもそう思っているで」と言って、出て行った。
叱られた担当者だけではなく、そこにいた全員が「ようし、これはやらねばならん!」という気になった。松下幸之助の叱り方には、相手を委縮させることなく、かえってやる気にさせる見事なフォローがあった。
松下幸之助に叱られた従業員はたくさんいますが、彼らはみな、自らの叱られたエピソードを自慢げに語ります。なぜ、叱られたことを前向きに受け止めるのでしょうか。それは、厳しく叱られたけれども、その根底に「育ってほしい」という幸之助の愛情を感じたからこそ、前向きに捉え、手柄話のように語るのでしょう。
成功する人材育成のコツ
ここまで、コーチングに関する誤解と、厳しさを伴う指導の必要性について考察を行ってきました。本稿の結論として「成功する人材育成のコツ」を以下の3つの観点から述べたいと思います。
(1)叱った理由と原因、改善方法をセットで示すこと
自身の反省点と今後に向けた改善点が明確になることで、本人の意識変容・行動変容が促進され成長につながる。ただし、相手の心を揺さぶるほどの信念と熱意が叱る側になければ形式だけの叱責になってしまう。
(2)厳しく叱った後のフォローを忘れないこと
叱りっぱなしでは、感情的なしこりが残って相互の信頼関係にひびが入る恐れがある。叱責が厳しければ厳しいほど、優しさと配慮をもったコミュニケーションが求められる
(3)相手の可能性に対する信頼感と深い愛情をもっていること
(1)と(2)があったとしても、相手に対する信頼感と、どうにか育ってほしいという愛情がなければ人の心を動かすことはできない
職場は道場
職場は言うまでもなく仕事上の目標を達成するために人々が集まって活動する場ですが、かつての日本企業には、それに併せて一人ひとりが人間的な成長を図る「道場」としての機能が備わっていました。グローバル化の一層の進展の中で日本企業が再び輝きを取り戻すカギは、かつての強みであった現場の人材育成機能の復活にあると言っても過言ではありません。そうした観点に立つならば、現場を支える管理・監督職の方がたには、コーチングの本質を誤解することなく、深い愛情に裏打ちされた厳しい指導を通じて部下を育て上げることが今後一層求められるでしょう。
コーチングの導入事例については下記の記事も参考にご覧ください。
参考記事:ビジネスコーチングの導入事例を紹介! 成功例や失敗例、改善策も解説
的場正晃(まとば・まさあき)
PHP研究所 経営共創事業本部 本部長
1990年、慶應義塾大学商学部卒業。同年PHP研究所入社、研修局に配属。以後、一貫して研修事業に携わり、普及、企画、プログラム開発、講師活動に従事。2003年神戸大学大学院経営学研究科でミッション経営の研究を行ないMBA取得。中小企業診断士。