人事部も気づいている!上司になってはいけない人たち
2014年4月23日更新
問題は、「いまどきの若者」ではなく、「いまどきの管理職」にある。人事部も気づき始めたこの新事実。本田有明著『上司になってはいけない人たち』(PHPビジネス新書)より、ご紹介します。
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最近ブラック上司だのクラッシャー上司だのといった言葉が頻繁に用いられるようになったが、その背景には、ブラックとはいわないまでも、部下を文字どおり腐らせてしまうグレイな上司の増加がある。
困ったことに、有能な人材だからといって優秀な上司になれるとは限らない。有能だからこそ部下の仕事を根こそぎ奪ってしまう者もいれば、かわいい部下以外は「その他大勢」としてつぶしにかかるような者もいる。
グレイからブラックに至るグラデーションの、微妙な色合いのところに大勢の上司たちが存在する。そんなふうに表現していいかもしれない。そうした状況を人事部は、さまざまな事象を通じて察知し、危機感を抱いているのだ。
では、どんな事象やどんなタイプの上司が見られるようになったのか。
部下をつぶす上司ワーストランキング
よく「上司は背中で語れ」といわれるが、それは職業人としての情熱がその人なりの流儀となって表れ、背中にまで雰囲気が漂うことを指す。それが部下に対して、無言のうちに範を示すことにもつながる。
流儀という言葉との関連でいえば、『プロフェッショナル 仕事の流儀』というテレビ番組が長く放映されている。さまざまな分野のビジネスパーソンが、その人ならではの仕事の流儀を極めるためにどんな奮闘を重ねたのか、その足跡を追ったものだ。
ご覧になった方も多いだろう。視聴者の胸に響くのは、登場人物たちの情熱であり、迫力である。真剣であること、一生懸命であること、誠実であること。そんな姿が職業人としての誇りを感じさせてくれる。
それほどドラマチックなものでなくても、情熱や志といえるものを自分はもっているだろうか。そんなふうに振り返ってみて、「イエス」と答えられるなら、その人は上司になる基本的な資格を有しているといってよい。
「上司は鬼がよいか仏がよいか」といった問いかけが話題になったことがあるが、そんな演出を考える前に、自分に流儀と呼べるものはあるのか、部下と向き合う真摯な思いはあるのかと自問するほうがよほど大切なことだ。
《危険レベル》で罪深さを分類する
食うために仕方なく働いているのが浮き彫りになっている人、自分ひとりの業績のことしか頭にない人、できる部下の存在を喜ぶのではなく警戒するような人、いうことがそのつどコロコロ変わる人。困った上司にもさまざまなタイプがある。ここでは上司たちの罪深さを≪危険レベル≫で分類してみよう。
(1)部下を育てる意欲も能力もない=≪危険レベル1≫
すでに指摘したとおり、部下はいらないと考える上司だ。管理職になどなりたくないのになってしまった、部下を押し付けられてしまったと嘆く。それでも人を育てる最低限の能力を備えていれば、それなりに対応して役目を果たすが、意欲も能力も欠けていれば「放任」となる。そのような上司からは、多くの場合、同じような人材しか育たない。
(2)会社や部下の文句ばかりをいう=≪危険レベル2≫
自分が属する会社や組織、ついでに部下たちの文句ばかりを口にする上司だ。建設的な批判ならよいが、たいていは陰口めいた陰湿なぼやきやグチで、こうした癖はまわりに伝染するのが怖いところだ。毎日のように聞かされていると、部下の心は腐ってしまう。このような上司がいる部署は、当然のことながら組織全体のモチベーションも業績も低い。それによって悪癖はますます募るという悪循環に陥る。
(3)その場そのときの気分でいうことが違う=≪危険レベル2≫
この傾向は誰にでも多少は認められるものだが、一貫性がまったくないというのでは、どう対処すればよいか、部下の側が疲れてしまう。ホウレンソウ(報告・連絡・相談)をきちんとやれといわれても、うかつに近寄ると災難にあうのが落ちなので、近寄りたくない。部下たちは上司の顔色をうかがうことに汲々としている。こういうムダなところに労力をつかわせる上司の罪は重い。コミュニケーションが不全の職場に多いのはこのタイプの上司だ。
(4)部下の意見や提言を無視する=≪危険レベル3≫
部下の意見を必ず取り入れなければならない、ということではない。上司に必要なのは独善に陥らないことであり、部下の意見に耳を傾ける謙虚な姿勢を見せることだ。それを踏まえたうえで、「衆知を集めて独断する」なら問題はない。しかし現実には、部下が意見をすると自分に刃向かったかのようにとらえ、逆上する上司がいる。自分の能力不足を自覚して、いつも臨戦態勢を敷いているような人物だ。部下の能力の芽を摘み取るリスクが高く、そのぶん≪危険レベル≫は高い。
(5)自分の好みで部下を選別・排除する=≪危険レベル4≫
前記の(4)がエスカレートしたタイプの上司だ。自分の意に沿わない部下に対しては評価を低くし、ときには排除しようとする。裸の王様あるいは暴君となる確率が高い。こういう上司のもとに配属された部下は悲劇である。淘汰された結果は、上司にとって都合がよいイエスマンばかりとなり、短期的な業績は悪くなくても、長期的には致命的なリスクをかかえる。まともな人材が育っていなかったという弊害が顕れるのは時間の問題だ。
積極的な加害者となるのはどんな上司か
(1)から(5)までのタイプでも十分に「困った上司」なのだが、さらに上を行く強者(?)がいる。セクハラやパワハラなどハラスメント(いじめ)による事件を起こす者や、部下を不正に加担させようとする者たちだ。
かなり極端な例と感じられるかもしれないが、そうとばかりはいえない現実がある。筆者のクライアント先でもそういう上司たちによる事案は発生したし、世間から優良企業と目されているところでの事件もけっして珍しいことではない。
(6)ハラスメントによる事件を起こす=≪危険レベル5≫
セクハラ(性的ないじめ)のほうは比較的わかりやすいが、パワハラのほうは、いまなお十分に理解していない管理職が少なくない。確認までに、厚生労働省が示したパワハラの定義と分類を見てみよう。
「職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいう」
分類のほうは次のようになっている。
1.身体的な攻撃(暴行・傷害)
2.精神的な攻撃(脅迫・暴言など)
3.人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)
4.過大な要求(業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨書)
5.過小な要求(業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと)
6.個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)
パワハラというと、「上司が部下に対して行ういじめ」とアバウトに理解されがちだが、それだけではない。注意したいのは、(1)「人間関係などの職場内の優位性を背景に」、(2)「業務の適正な範囲を超えて~職場環境を悪化させる行為」、という箇所だ。
たとえば、異動してきた社員に対して上司や同僚たちが集団で村八分的な対応をとったら(1)に引っかかる。気に入っている部下たちにはやりがいのある仕事を与え、そうでない者には雑用的な業務ばかりさせたとしたら(2)に該当する可能性がある。
恣意的に多くの仕事をどっさり与えたり、逆に干したりするのも、それぞれ4と5に抵触する。程度や頻度にもよるので、訴訟沙汰となったときパワハラと認定されるかどうかは微妙なところだが、この問題に関する解釈はかなり間口が広くなっていることを、現代の上司たちは知っておく必要がある。
(7)部下を不正に巻き込もうとする=≪危険レベル∞≫
これが最悪だということは誰にでもわかるだろう。不正経理や横領、詐欺など、不祥事の大半は、それなりの立場にある者によって行われるのが通例だ。若手であれば責任や権限がないため、大きな不正は犯しにくい。
それなりの立場にある者が不正に手を染めるとき、自分ひとりではなく、部下を巻き込むケースがしばしば見られる。巻き込まれるのは、当然のことながら上司に従順なタイプの部下だ。ノーといえない性格に付け込まれ、加担させられる。
部下に害悪を及ぼす上司はさまざま存在するが、この上司の≪危険レベル≫には比較にならない。まさに無限大といってよいだろう。
◎PHPビジネス新書『上司になってはいけない人たち』
やる気が出る言葉でもある「きみに任せた」の一言が、時として部下には「悪魔のセリフ」となるとは、どういうことか。「セブン-イレブン」「織田家康」「ドクターノー」......部下が上司につけたあだ名は、何を示しているのか――。会社生活において避けて通れない「上司と部下」問題解決のヒント。
【著者紹介】
本田有明(ほんだ・ありあけ)
本田コンサルタント事務所代表。1952年、兵庫県神戸市生まれ。慶應義塾大学哲学科卒業後、社団法人日本能率協会に勤務。経営事業本部、情報開発本部などに所属し、部長職を務める。1996年に人材育成コンサルタントとして独立。おもに経営教育、能力開発の分野でコンサルティング、講演、執筆活動に従事している。
おもな著書に『人材育成の鉄則』(経団連出版)、『ソクラテス・メソッド』『ヘタな人生論より葉隠』『ヘタな人生論より夏目漱石』(以上、河出書房新社)、『若者が3年で辞めない会社の法則』 『本番に強い人、弱い人』(以上、PHP新書)などがある。