「なんでこんな雑務を私が...」~自称エリート社員をどう指導する?
2017年1月23日更新
「コピー用紙の発注や会議のお茶出しなどの雑務を自分がやらされるのに納得がいかない」と雑務を嫌がる一流大学院修了・入社2年目の若手社員。指導に困っている管理職からのご相談に、アドラー心理学の考え方からアドバイスします。
社会人は仕事を通じて成長していく。どんな経験も無駄にはならない。よく言われている言葉ですし、個人的にも大いに頷く部分があります。でもそれはある程度の年齢に達し、未熟だった自分を振りかえる余裕ができたから言えることなのかもしれません。今回は、野心が歪んでいる新人や若手社員との接し方でお悩みを抱えている方のご質問を紹介します。
院卒・自称エリート社員「なんでこんな雑務を私が...」
【質問】一流大学院修了入社2年目の社員の言動に困っています。グループ内には他に高専卒12年目、大卒5年目の社員がいます。2年目の社員いわく「コピー用紙の発注や会議のお茶出しなどの雑務を自分がやらされるのに納得がいかない。電話も一番に出ることが暗に要求されている。それは院卒の自分の仕事ではないと思う。最新の知識に詳しい私は自分の仕事に専念したい。雑務は派遣でも雇うか、気づいた人がやるべき」といい、最近はあからさまに不機嫌な態度になっています。雑務だけのために派遣社員に来てもらうほどの規模や売上の大きい部署ではありません。(37歳 精密機器 課長)
数年前からよく耳にするようになった「意識高い系」をこじらせてしまっている感じでしょうか。おそらく優秀な成績を収め、学内のリーダーシップもとり、家の中でも甘やかされて育てられたのでしょう。「お手伝いしなくていいから勉強しなさい」「あなたは面倒なことは何もしなくていいのよ」と、蝶よ花よと育てられてしまったのかもしれません。でも、そもそも「仕事って何?」 という根本的な部分の認識が甘いのではないでしょうか。
会社の仕事はチームワーク
「仕事」ってなんでしょう? いろいろな定義があると思いますが、小学生に説明するとしたら、どのようにいいますか? ひとつ大きな定義として、「誰かの代わりに何かをしてあげて、それでお金をもらうこと」「みんながよりよく幸せに生きられるようにするために、自分の力や考えをふり絞って、それでお金をもらうこと」そんなふうにいうことができるのではないでしょうか。
では「会社での仕事」はどうでしょう。基本的にはチームワークです。自分の専門職種をメインに担当するのは当然ですが、自分の部署でコピー用紙や文房具が切れているのを発見して発注したり、お客様が来たときにお茶を出したり、電話応対したりするのは、「無駄なこと」「くだらない雑務」でしょうか。「自分みたいな頭のよいエリートがするのにはふさわしくない雑用」でしょうか。もちろん「その仕事だけ」なら、リソースの無駄遣いになってしまいますが。
アドラー心理学では「共同体感覚」
チームで仕事をする場合、そのチームに所属していることを誇りに思えること(所属感)、チームの仲間を信頼できること(信頼感)、そしてその所属しているチームの仲間のために、何か役に立つことをしたいと心から願うこと(貢献感)ができれば、その人は精神的な満足感を得ることができます。このような感覚を総称して、アドラー心理学では「共同体感覚」といいます。共同体感覚がある、ということは、対人関係のゴールとも言える理想的な状態です。共同体感覚は、勇気づけと並び、アドラー心理学において中心に据えられる、核となる考え方です。
「私は精密機械メーカーに入ったんだから、精密機械を研究する仕事しかやりません」と極端なことをいう人に対しては、「その研究の目的は何か」「このチームはその研究にどう貢献するのか」「最終的に誰がその機械を使うのか、何に利用されるものなのか」「その機械の研究成果を人々に知らしめるために何が必要か」「改良・改善に必要なものはなにか」などなど、「研究」のおよぶ範囲の広さを改めて認識させることが必要です。コピー用紙でも、文具でも、その備品が不足していることは研究の妨げにもなるでしょうし、お茶出しのきっかけで、顧客や関係者からの自分が気づかなかった貴重な意見が拾えないとも限りません。また「グループメンバーへの貢献につながる細かい気遣いを『くだらない雑用』とみなして嫌々やっている社員」というレッテルを貼られることが、どれだけ本人の考える"高邁な研究"の足を引っ張っているかをいつか思い知ることになるでしょう。それは本人の望むところでしょうか。
W.B.ウルフの「3つの幸福論」
初期のアドラー派で、『どうすれば幸福になれるか(上)(下)』(一光社/岩井俊憲・監訳)の著者であるW.B.ウルフは、「3つの幸福論」について述べています。
◆Having (持っている)の幸福論
家、車、宝石を持っているなど、所有による幸福
◆Being (である)の幸福論
社長である、エリートである、金持ちである、など、「~であること」による幸福
◆Doing (行なう、貢献する)の幸福論
誰かに貢献することや何かを行なうことで得られる幸福
HavingとBeingは失う恐れのある幸福です。でも、Doingは決して失わたり損なわれたりすることのない幸福です。「◎◎社の社員である」「△△の研究者である」ことの大切さだけでなく、「世の中の人に役立つ研究に携われている」「チームのみんなに貢献している」という幸せを、もし会社の中で感じることができたら、その幸福をエネルギーに変えてまたさらに研究がより深く、より広くできるようになるのでは、と思うのですが、いかがでしょうか。
【著者プロフィール】
永藤かおる(ながとう・かおる)
(有)ヒューマン・ギルド研修部長。心理カウンセラー。1989年、三菱電機(株)入社。その後ビジネス誌編集、海外での日本語教育機関、Web 制作会社など、20年以上のビジネス経験のなかで、人事・採用・教育・労務管理等に携わる。どの現場においてもコミュニケーション能力向上およびメンタルヘルスケアの重要性を痛感し、勤務と並行して学んだアドラー心理学を生かして現在㈲ヒューマン・ギルドにてカウンセリング業務および企業研修を担当。著書に『「うつ」な気持ちをときほぐす 勇気づけの口ぐせ』(明日香出版社)、PHP通信ゼミナール『リーダーのための心理学 入門コース』(監修:岩井俊憲、執筆:岩井俊憲・宮本秀明・永藤かおる、PHP研究所)などがある。