社員が成長・学習する社風をつくるには?
2019年9月 6日更新
どうすれば働く人々が成長する社風を育むことが出来るでしょうか。それを阻害する要素から考えてみます。
どうすれば働く人が成長する社風を育むことが出来るのか?
よい会社の条件とは何でしょう。労働条件がよい会社のことでしょうか、離職率が低い会社のことでしょうか、それとも財務が健全で体力のある会社でしょうか。それらはもちろんよい会社の条件として大切ではあるかもしれませんが、ではそれらの条件を支えているものとはいったい何でしょう。
それは、その会社で働く人々の能力の総和です。いくら先に出てきたようなよい会社の条件を満たしていたとしても、それらが好景気によってもたらされているものであるならば、よい会社とは言えません。なぜならば、その条件を会社として自立的に生み出しているわけではなく、あくまで社外の環境に依拠しているだけの状態に過ぎないからです。
本当に優れた会社とは、景気の良し悪しに関わらず、先に述べたよい会社の条件を満たし続けています。
しかしそのような会社を築いていくためには、そこで働く人々が成長し続けていける環境が必要です。ではどうすれば働く人々が成長する社風を育んでいくことが出来るのでしょうか。
社員が成長する社風の条件と、その環境づくりを阻む要素
社員が成長する社風を育んでいくための条件を知るためには、それを阻害する要素を知ることが有効です。阻害する要素は細かく挙げ出すとキリがありませんが、今回は筆者が特に重要であると考える5つの要素に絞って考えてみたいと思います。
働く人が成長する社風づくりを阻害する5つ要素
1.成長の意義意欲が個人任せで利己的
2.失敗が許されない雰囲気
3.会社都合の成長基準
4.不平等で不健全な社内競争
5.見本となる人の不在
これらの阻害要素を取り除くことが出来れば、会社はグッと成長する社風になっていきます。それでは、各項目をひとつずつ見ていきましょう
成長の意義意欲が個人任せで利己的
松下電器産業(現パナソニック)の創設者であり、経営の神様と言われた松下幸之助さんは著書『社員心得帖』の中で、「自分を高める義務」というテーマで次のような言葉を残しています。
みずからを高めるというか、教養を高めたり、仕事の能力を向上させたり、あるいは健康な体づくりをすることと関連して、私は一つ皆さんにお尋ねしたい。それはどういうことかというと、ほかでもない。皆さんが勉強なり運動をするときに"自分がこのように自己の向上に努めるのは、ただ単に自分のためばかりではない。それは社会の一員としての自分の義務でもあるのだ"という意識をもってやっておられるかどうか、ということである。そういうことを皆さんは今まで考えたことがあるかどうか、また現在考えているかどうかをお尋ねしたいと思う(中略)
義務感というか、社会の一員としての連帯感というものを、私たちは一人ひとり、よく認識しておく必要があると思うのです。
そう考えると、逆に自分が勉強するもしないも、それは自分の勝手だ、といった態度は許されないということになってくるわけですが、その点、皆さんの意識はいかがでしょうか。
(『社員心得帖』松下幸之助・著 PHP研究所)
この幸之助さんの一文は昭和40年(1965年)頃の話ですが、普遍的でありとても大切な話です。
近年、自己啓発などの「自己を高める」というテーマは、自己の幸せや成功、キャリアアップといった視点から語られているものがほとんどです。しかし、幸之助さんの話の根底には、「利他の精神」があります。
吉田松陰を育てた人物として有名な玉木文之進も「一日勉学を怠れば国家(藩)の武は一日遅れることになる」という言葉が口癖だったと言われていますが、過去の日本では自己成長は自分のためだけのものではない、という考え方がおおいにありました。
自己成長に利己的な動機があってはいけないとまでは筆者も思いませんが、それでも現代社会は成長の意義意欲といったものがあまりに利己に寄りすぎていると感じます。そして、会社も社員一人ひとりの自己成長の意義意欲をあまりに個人任せにし過ぎではないでしょうか。
失敗が許されない雰囲気
成長を語るとき、切っても切り離せないものがあります。それは挑戦です。人が学べる場所は3箇所あると言われていますが、1つ目は座学などで新たな物事を学んだとき、2つ目は学んだ事を実践したとき、3つ目は学んだ事を人に教えたとき、です。そして、2番目の実践こそが挑戦です。
物事にはやってみないと見えないこと学べないことが多々あります。しかし、成長する社風を築けない会社では、この挑戦に対してとても厳しい姿勢を持っています。挑戦には結果としての成功と失敗がありますが、その失敗に対する姿勢が厳しいのです。会社によっては失敗が許されない雰囲気のところもあります。
たしかに会社が傾くような失敗、関わる人の命の危険が伴う失敗、人生を狂わせてしまうような失敗は、止める判断も必要でしょうが、逆に言うと、そうではないような挑戦はやらせてあげられる会社側の度量や体力も必要です。
私自身は、挑戦というものを「成功か失敗かで測ること」、それそのものがズレていると考えています。挑戦というものの価値は「成長と経験」で測る方が、はるかに有意義ではないでしょうか。挑戦を通じて社員たちが成長と経験重ねていく先に、会社としての真の成果が生まれるのです。挑戦から生まれる単発の成功失敗に一喜一憂する、そのような風土では人材育成も難しいと言えるでしょう。
会社都合の成長基準
成長する組織の会社風土を研究観察していると、社員一人ひとりの学習意欲の高さに気づかされます。では、社員一人ひとりの学習意欲の高さはどのようにして育まれているのでしょうか。
そこには上司や先輩の「学習・自己成長」に対する姿勢や、会社が提供している学習機会(例えば、資格取得支援制度や課題図書 など)もあるかもしれませんが、もっと根本的なところに、社員一人ひとりの学習に対する姿勢としての「やらされ感の無さ」があります。
社員が学習に対して積極的で、学習し続ける習慣を身につけ、自己目的を持って取り組んでいるのです。では、そのような学習に対しての、主体性のある風土はどのようにして育まれていくのでしょうか。
その答えの一つに、社員一人ひとりの成長を会社都合で評価しないことが挙げられます。社員の成長と一言で言ってみても、その成長速度や学習の関心領域などは人それぞれです。しかし、その成長速度や学習の関心領域を会社都合で画一的にすべての社員に当てはめてしまうと、多くの場合は「やらされ感の多い、主体性を欠いた学習」になってしまいます。
社員一人ひとりがまず身につけるべきものは、継続的に学習する習慣であり、その継続的な学習を楽しむ姿勢です。学ぶこと、成長することを楽しめるようになった人は主体性を持って継続学習に臨めるようになります。
そして、そのような学習に対する主体性のある習慣や姿勢を育むためには、まずは「本人が学びたいことを、本人の学習スピードで学ばせる」ことが大切になってきます。
これは子育てと一緒です。子供が関心を示している学習領域を親がコントロールし、親の都合で学習を決め、親の基準で成長速度を決め、その基準に当てはめて子供の成長を評価するのと同じで、そのような教育は子供から学習の楽しみを奪ってしまい、心をも傷つけてしまいかねません。
たとえば、学習意欲の高い組織では、仕事に直接的に必要な知識だけでなく、たとえば茶道や書道の体験教室を開催し自由参加としていたり、仕事とまったく関係ない趣味的な資格取得にも支援的な姿勢をつくっています。そうする理由は、豊かな社員が育てば会社にとってもプラスになる、楽しみながら学習する習慣を社員に身につけてもらう、という目的があるのです。
もちろん会社としての求める人財像というものはありますし、業界的にも必要な学習はありますが、そのような直接的な学習だけを社員に求めるのではなく、学ぶことの大切さや楽しさを見つけてられる、その人なりの学習速度で学び、そしてその速度を自分で上げていけるよう、間口の広い学びの環境を整える工夫をしているのです。
不平等で不健全な社内競争
働く人が成長する社風づくりを阻害する要素として、この「不平等で不健全な社内競争」という項目は、ことさら説明する必要もない項目かもしれません
不平等・不健全な社内競争が起こる要因はどこにあるのかというと、社内派閥などの政治的な要因もありますし、社員個々人の好かれ具合・目立ち具合という場合もあります。
働く人が成長する社風を築けている組織では、誰か特定の人だけが目立ち主役になれるような組織風土ではなく、「社員一人ひとりが、自分の人生の主人公」となれるような風土を目指しています。
たとえば、成長に対する評価がプロセスと結果でしっかりと区別されていたり、明確な目的もなく他者と競わせることもしません。
働く人が成長する社風づくりを阻害する要素として「不平等で不健全な社内競争」という項目を挙げると、ついその反対の項目として「平等で健全な社内競争」が社風づくりに大切と考えてしまいがちですが、現実は社員一人ひとりが自分と向き合い「内面の自分と競える」ということの方が大切であったりします。
見本となる人の不在
成長する社風において見本となる人の存在はとても重要です。ではそのような人物を育てることは可能なのでしょうか。筆者自身は「育てることは不可能」だと考えています。
もし、そのような見本となる人が社内に存在するとしたら、それは誰かが育てたのではなくその人自身が「そうなりたい」という主体性や責任感を持ち、周囲の見本となるような人物に成ったのです。
見本となる人に成るためには、「自分のため」だけではなく「誰かのため」に人生を使いたいと思える人でなければ成れません。それは、役職や在籍年数で養えるものでは無く、その人自身の使命感や志といったものから生まれてくるものです。
たしかに見本となる人物がすでに社内に存在する場合は、大変恵まれた環境であると言えるでしょう。そのような見本となる人がいれば、その下の人たちも「自分もあの人のような、人物に成りたい」と、自ら使命感や役割に気がつき主体性を発揮して、そのような人物となれるよう努力を重ねていくからです。そしてその積み重なりが、組織としての「育てる風土」ではない「真に人が育つ風土」になっていくのです。
しかし、もし仮に見本となるべき人物がいなかったとしても、それもまた大切な機会と言えます。
「なぜ...なんだろう」「どうしてもっと...してくれないんだろう」といった具合に、周囲の人や環境に不満や不備を感じたなら、その中にこそ、その人の使命・役割といったものが隠れているからです。その役割を他者に求め依存するのか、自分に求め主体性を発揮するのか。環境は与えられるものでは無く、築いていくものです。
延堂溝壑(えんどう こうがく)
本名、延堂良実(えんどう りょうま)。溝壑は雅号・ペンネーム。一般社団法人日本報連相センター代表。ブライトフィート代表。成長哲学創唱者。主な著書に『成長哲学講話集(1~3巻)』『成長哲学随感録』『成長哲学対談録』(すべてブライトフィート)、『真・報連相で職場が変わる』(共著・新生出版)、通信講座『仕事ができる人の「報連相」実践コース』(PHP研究所) など。